ドゥブロヴニク城壁の門
ドゥブロヴニクといば、「アドリア海の真珠」というニックネームがうまれる理由の一つにもなった、壮大で美しい城壁がよく知られています。しかし、この城壁、実はただのきれいな壁ではなく、要塞や軍隊の詰め所、鋳造所まで備えた、中世の最新鋭防衛装置。今回の記事では、そんなドゥブロヴニクの城壁の知られざる一面が垣間見える、城壁の門に関するエピソードをご紹介します。
ドゥブロヴニクといば、「アドリア海の真珠」というニックネームがうまれる理由の一つにもなった、壮大で美しい城壁がよく知られています。しかし、この城壁、実はただのきれいな壁ではなく、要塞や軍隊の詰め所、鋳造所まで備えた、中世の最新鋭防衛装置。今回の記事では、そんなドゥブロヴニクの城壁の知られざる一面が垣間見える、城壁の門に関するエピソードをご紹介します。
「オルランドの柱」は、ストラドゥン(プラツァ通り)の東側(ピレ門の反対側)のルジャ広場に立つ、騎士像の彫り込まれた柱。実はこれ、ただの飾りではなく、ある実用的な道具の役も果たしていたものなのです。今回の記事では、謎めいた微笑を浮かべたこの騎士、オルランドの柱についてご紹介します。
ドゥブロヴニクから車で 1 時間ほど西へ行ったところにある小さな街、ストン。食通をうならせる牡蠣、切り立った山肌にそびえ立つ長大な城壁で知られるストンは、ローマ時代から続く天日塩づくりでも知られています。今回は、このストンの天日塩についてご紹介します。
スポンザ宮殿は、ストラドゥン(プラツァ通り)の終わり、オルランドの柱のあるルジャ広場に面する、美しいゴシック・ルネサンス様式の建物。1667 年の地震により一度壊滅したドゥブロヴニク旧市街において、例外的に地震前の姿を今に伝える、非常に貴重な歴史的建造物です。この記事では、そんなスポンザ宮殿についてご紹介します。
旧市街をプロチェ門から出てバニェビーチ方向に向かうと、ビーチの手前に石造りの古い建物があります。こちらは、ドゥブロヴニク共和国時代に検疫所として利用されていた建物。今回は、中世のドゥブロヴニクが作り出した驚くほど先進的な検疫システムと、このラザレティについてご紹介します。
クロアチアを代表する観光地、ドゥブロヴニクには、絵画や彫刻、音楽や演劇などのアートを愛する伝統があり、中世には、アドリア海東岸のルネサンスの牽引役となった歴史を持っています。今回は、そんなドゥブロヴニク旧市街が誇るアートギャラリーをご紹介します。
中世において、独立国家として、卓越した外交力と莫大な富を武器に、驚異的な文化的・政治・経済的発展を遂げたドゥブロヴニク共和国。クロアチアが誇る詩人/劇作家、マリン・ドゥルジッチが活躍したのも、まさにこの時代。今回は、このマリン・ドゥルジッチを記念して作られた博物館、「マリン・ドゥルジッチの家」をご紹介します。
海洋貿易の要所に位置し、中世には、商業や外交で類まれな成功を納めた独立国家として発展してきたドゥブロヴニク。小国ながら、周辺の大国を相手に、数百年の間したたかに生き延びたユニークな歴史をもっています。そんなドゥブロヴニクの成功を支えたのが海洋貿易による潤沢な資金。今回はそんな歴史を垣間見ることのできる海洋博物館についてご紹介します。
クロアチアを代表する観光地、ドゥブロヴニク。今はクロアチアの都市ですが、クロアチアの一部としての歴史より、独立した都市国家、ドゥブロヴニク共和国だった歴史の方が長い、クロアチアの中でもちょっと特殊な街です。今回は、ドゥブロヴニク共和国時代に総督のお屋敷として使われていて、現在は歴史文化博物館として一般公開されている、ドゥブロヴニク旧市街の旧総督邸についてご紹介します。
ドゥブロブニク旧市街に足を踏み入れて、まず目に入るのがこのオノフリオの大噴水。日本語では「噴水」と訳されていますが、実際は水飲み場なので、ドーム型の建物の周囲に複数の蛇口がつき、水がチョロチョロとかけ流しになっているというもの。「噴水」イメージして行くとギャップに驚くかもしれません。この記事では、このオノフリオの噴水に関するエピソードをご紹介します。