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歴史

    ドゥブロヴニク旧市街の観光スポット: 聖ヴラホ教会

    聖ヴラホはドゥブロヴニクの守護聖人。ドゥブロヴニクの城壁、門の上、主要な建物の壁など、市内のあちこちに、左手(※まれに右手のものも)にドゥブロヴニクの模型を抱えた聖ヴラホ像が刻まれています。この記事では、守護聖人聖ヴラホを祀る聖ヴラホ教会についてご紹介します。

    ドゥブロヴニクから車で 30 分: コナヴレの遺跡郡

    ドゥブロヴニク近郊の都市、ツァヴタットとその周辺地域は、非常に古くから人が住んでいた地域。観光地化されておらず、普通の観光客が行かないような、時に忘れ去られたレアでリアルな遺跡がごろごろしています。歴史に興味のある方は、ドゥブロヴニク訪問ついでに、こういった遺跡まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

    コナヴレの絹刺繍

    ドゥブロヴニク周辺び伝統工芸のうち、お土産屋さんの定番といえば、美しく緻密な絹刺繍。空港のあるコナヴレが特に有名です。今は美しく平穏なコナヴレですが、戦禍により、絹刺繍もろとも壊滅するという悲劇的な過去を持ちます。今回は、苦しみを乗り越え、多くの人々の努力により見事な復活を遂げた、この価値ある絹工芸をご紹介します。

    ​ドゥブロヴニク旧市街の観光スポット: 聖イグナチオ教会

    ドゥブロヴニク旧市街、総督邸にほど近く、午前中に開かれる市場が人気のグンドリッチ広場。この広場の南端に、美しいバロック様式の階段があります。そして、これを登りきった先にあるのが、ドゥブロヴニクのバロック建築を代表する美しい建築である、聖イグナチオ教会。この記事では、ドゥブロヴニクの多くの人が「一番綺麗な教会」と絶賛する、この聖イグナチオ教会についてご紹介します。

    クロアチアの歴史

    先史時代からの非常に長い歴史をもつクロアチア。周辺を大国に囲まれ、その思惑に翻弄される苦難の年月を長く経験してきました。ユーゴスラヴィア紛争の記憶は今も根強く、危ないと思われる方も多いですが、現在ではヨーロッパでも特に治安のよい地域の一つ。今回はそんなクロアチアの歴史をざっくりとまとめます!

    宿泊体験レビュー: ヒルトン・インペリアル・ドゥブロヴニク/Hilton Imperial Dubrovnik

    ドゥブロヴニク旧市街のメインゲート、ピレ門の外、黄色のデコラティブな手すりのあるバルコニーが印象的な、ひときわ目を引く建物があります。これが、ヒルトン・インペリアル・ドゥブロヴニク。ドゥブロヴニクの近代ツーリズム発祥の地ともされる由緒あるホテルです。今回は、このヒルトン・インペリアル・ドゥブロヴニクについて、宿泊体験のレビューを交えてご紹介します。

    ​ ドゥブロヴニク旧市街の観光スポット: ミンチェタ・タワー

    ドゥブロヴニクの城壁の北西、最も背の高い部分は「ミンチェタ・タワー: Minčeta Tower」と呼ばれる要塞になっています。ゴシック様式の冠を頂上部にいただき、眼下にドゥブロヴニク旧市街を睥睨する威風堂々たる姿は、難攻不落と言われたドゥブロヴニクの鉄壁の守りを象徴するよう。今回の記事では、このミンチェタ・タワーについてじっくりご紹介します。

    11 月 – ヴコヴァル(Vukovar)追悼行事

    11 月 18 日は、1990 年代のクロアチア紛争の激戦地、ヴコヴァルが陥落し、第二次世界大戦後のヨーロッパ最悪の大量虐殺事件と言われる、ヴコヴァルの虐殺へと繋がった日。この時の犠牲者の追悼のため、クロアチア 全土で多くの人が祈りを捧げます。

    ドゥブロヴニク旧市街のメインストリート: ストラドゥン(プラツァ通り)

    ドゥブロヴニク旧市街の真ん中を南北に分割するメインストリート、ストラドゥン。日本のガイドブックなどでは、「プラツァ通り」という名称で知られています。今回は、海外の旅行雑誌で「一生に一度は訪れるべきストリート ベスト 10」に選ばれたこともある、このストラドゥンにまつわる歴史やエピソードをご紹介します。

    ドゥブロヴニクからバスで 20 分: トゥルステノ樹木園

    トゥルステノ樹木園(アルボレタム・トゥルステノ: Arboretum Trsteno)は、ドゥブロヴニク市郊外にある樹木園。15 世紀、地元の有力者によって作られたこの美しい庭園では、世界から蒐集された珍しい植物に加え、眼下に広がるアドリア海の絶景を楽しむことができます。 Index トゥルステノ樹木園の歴史 トゥルステノ樹木園の見どころ Game of Thrones ロケ地 アクセス トゥルステノ樹木園の歴史 トゥルステノ樹木園は、ドゥブロヴニクから北西に約 25 km ほど離れたところにある小さな町、トゥルステノにあります。このトゥルステノはもともと漁師町。良港に恵まれ、ドゥブロヴニクが海運業で発展した時代には、世界を旅する貿易船の寄港地となりました。 さて、ドゥブロヴニク共和国が繁栄を極めた 14 〜 15 世紀ごろには、ドゥブロヴニク旧市街を少し離れた周辺の沿岸は、有力者、富豪達の夏の別荘地として非常に人気があり、最盛期には 200 以上の別荘が作られていたそうです。 そんな中、トゥルステノに別荘を持ったのがドゥブロヴニクの有力者であるグチェティチュ(Gučetić、イタリア名ではゴッゼ: Gozze)家。15 世紀頃、このグチェティチュ家が世界から珍しい植物を蒐集し、植物園を建造したのがこのトゥルステノ樹木園の始まりです。 この樹木園がいつできたか、というはっきりした年月はわからないものの、1492 年に灌漑用に水道が引かれた記録があり、その時点ですでにある程度整った庭園となっていたようです。なお、この水道はドゥブロヴニク旧市街のオノフリオの噴水と同様、石造りの水道で山間の水源から水を引いてくるもので、現在も引き続き使用されています。 トゥルステノ樹木園は […]