ドゥブロヴニク滞在の費用 実例

    旅行の計画をするときに、最も気になることの一つに「どれくらい費用がかかるのか」という点があります。ある程度の目安がわかっていると、資金計画がたてられる上に、現地の適正価格もなんとなくイメージできるので、気になるレストランお宿の価格が不当か適切かの判断もしやすくなります。そこで今回は、クロアチア、ドゥブロヴニクに滞在した場合、実際に自分が旅をした時どのくらい費用がかかっているか、ざっくりご紹介します。

    ドゥブロヴニク旧市街へのアクセス: ドゥブロヴニク港 & 長距離バスターミナル 〜 旧市街

    ドゥブロヴニクの海の玄関口、グルージュ港。長距離バスのターミナルもこのグルージュ港にありますが、旧市街とは少し離れているため、旧市街に行くためには路線バスに乗り換える、またはタクシーなどを利用する必要があります。この記事では、ドゥブロヴニク港から、ドゥブロヴニク旧市街までの行き方をご紹介します。

    クロアチアの歴史

    先史時代からの非常に長い歴史をもつクロアチア。周辺を大国に囲まれ、その思惑に翻弄される苦難の年月を長く経験してきました。ユーゴスラヴィア紛争の記憶は今も根強く、危ないと思われる方も多いですが、現在ではヨーロッパでも特に治安のよい地域の一つ。今回はそんなクロアチアの歴史をざっくりとまとめます!

    宿泊体験レビュー: ヒルトン・インペリアル・ドゥブロヴニク/Hilton Imperial Dubrovnik

    ドゥブロヴニク旧市街のメインゲート、ピレ門の外、黄色のデコラティブな手すりのあるバルコニーが印象的な、ひときわ目を引く建物があります。これが、ヒルトン・インペリアル・ドゥブロヴニク。ドゥブロヴニクの近代ツーリズム発祥の地ともされる由緒あるホテルです。今回は、このヒルトン・インペリアル・ドゥブロヴニクについて、宿泊体験のレビューを交えてご紹介します。

    ​ ドゥブロヴニク旧市街の観光スポット: ミンチェタ・タワー

    ドゥブロヴニクの城壁の北西、最も背の高い部分は「ミンチェタ・タワー: Minčeta Tower」と呼ばれる要塞になっています。ゴシック様式の冠を頂上部にいただき、眼下にドゥブロヴニク旧市街を睥睨する威風堂々たる姿は、難攻不落と言われたドゥブロヴニクの鉄壁の守りを象徴するよう。今回の記事では、このミンチェタ・タワーについてじっくりご紹介します。

    11 月 – ヴコヴァル(Vukovar)追悼行事

    11 月 18 日は、1990 年代のクロアチア紛争の激戦地、ヴコヴァルが陥落し、第二次世界大戦後のヨーロッパ最悪の大量虐殺事件と言われる、ヴコヴァルの虐殺へと繋がった日。この時の犠牲者の追悼のため、クロアチア 全土で多くの人が祈りを捧げます。

    ドゥブロヴニク旧市街の観光スポット: ​ドゥブロヴニク大聖堂(聖母被昇天大聖堂)

    ドゥブロヴニク大聖堂は、総督邸の斜め前にあり、ルジャ広場やグンドリッチ広場にもすぐにでられる、街の中心地にある大聖堂。聖母マリアが肉体と魂を保ったまま天国へ召されたという「聖母の被昇天」を記念した大聖堂です。今回は、ドゥブロヴニクを代表する建築の一つ、ドゥブロヴニク大聖堂についてご紹介します。

    ドゥブロヴニク旧市街のメインストリート: ストラドゥン(プラツァ通り)

    ドゥブロヴニク旧市街の真ん中を南北に分割するメインストリート、ストラドゥン。日本のガイドブックなどでは、「プラツァ通り」という名称で知られています。今回は、海外の旅行雑誌で「一生に一度は訪れるべきストリート ベスト 10」に選ばれたこともある、このストラドゥンにまつわる歴史やエピソードをご紹介します。

    ドゥブロヴニクからバスで 20 分: トゥルステノ樹木園

    トゥルステノ樹木園(アルボレタム・トゥルステノ: Arboretum Trsteno)は、ドゥブロヴニク市郊外にある樹木園。15 世紀、地元の有力者によって作られたこの美しい庭園では、世界から蒐集された珍しい植物に加え、眼下に広がるアドリア海の絶景を楽しむことができます。 Index トゥルステノ樹木園の歴史 トゥルステノ樹木園の見どころ Game of Thrones ロケ地 アクセス トゥルステノ樹木園の歴史 トゥルステノ樹木園は、ドゥブロヴニクから北西に約 25 km ほど離れたところにある小さな町、トゥルステノにあります。このトゥルステノはもともと漁師町。良港に恵まれ、ドゥブロヴニクが海運業で発展した時代には、世界を旅する貿易船の寄港地となりました。 さて、ドゥブロヴニク共和国が繁栄を極めた 14 〜 15 世紀ごろには、ドゥブロヴニク旧市街を少し離れた周辺の沿岸は、有力者、富豪達の夏の別荘地として非常に人気があり、最盛期には 200 以上の別荘が作られていたそうです。 そんな中、トゥルステノに別荘を持ったのがドゥブロヴニクの有力者であるグチェティチュ(Gučetić、イタリア名ではゴッゼ: Gozze)家。15 世紀頃、このグチェティチュ家が世界から珍しい植物を蒐集し、植物園を建造したのがこのトゥルステノ樹木園の始まりです。 この樹木園がいつできたか、というはっきりした年月はわからないものの、1492 年に灌漑用に水道が引かれた記録があり、その時点ですでにある程度整った庭園となっていたようです。なお、この水道はドゥブロヴニク旧市街のオノフリオの噴水と同様、石造りの水道で山間の水源から水を引いてくるもので、現在も引き続き使用されています。 トゥルステノ樹木園は […]