ドゥブロヴニクから 20 分: ツァヴタット旧市街 ヴラホ・ブコヴァッツの家

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ドゥブロヴニク旧市街から路線バスで 20 分ほどの場所にある小さな美しい町、ツァヴタット。
ここに、クロアチアを代表する画家、ヴラホ・ブコヴァッツの住居を美術館とし、一般公開している「ヴラホ・ブコヴァッツの家」があります。

当時のまま残されたかわいらしい内装、明るい日差しの差し込むアトリエ、手を伸ばせば触れられそうな距離にある展示品…。

19 世紀後半から 20 世紀初頭の、愛情あふれる家族の生活、ここで暮らした偉大な画家の息遣いすら感じられるような、上質な時間と空間を味わうことができる、とても素敵な美術館です。


iStock. by Getty Images ポートフォリオ:Mari_mjx
Instagram Profile:@marimjx


ヴラホ・ブコヴァッツとは

ヴラホ・ブコヴァッツは、ドゥブロヴニクから車で 20 分程の小さな打つくちい街、ツァヴタット生まれの画家。
貧しい家に生まれ、波乱の前半生を送った後に絵画の才能が開花し、パリで名を成した後、ヨーロッパ各地で活躍しました。

ヴラホ・ブコヴァッツは、1855 年 7 月 4 日 にツァヴタットで生まれました。

ブコヴァッツの祖父、ジュゼッペ・ファッジョーニはイタリア人船員。
嵐を避けてツァヴタットに避難したのを機に、そのままツァヴタットに住み着き、地元のお嬢さんと結婚して家族をもったのが、ツァヴタットにおけるブコヴァッツ家の始まりだそうです。

美しく平和なツァヴタットに生をうけたブコヴァッツですが、その後の人生は波乱に満ちた物となりました。

まだ 11 歳の時、ニューヨークの叔父のところに留学した直後、叔父が亡くなり、劣悪な環境で悪名を轟かせた少年救貧院に送り込まれたり。
やっとの思いでツァヴタットに帰ってからは、家族の生活を支えるため、船員として世界に旅立ったり。
かと思えば、今度は船での事故に巻き込まれ、療養を余儀なくされたり。

かなり大変な前半生でしたが、その療養の際、趣味で始めた絵が評判となり、その後の彼の人生が大きく変わったのですから、人生というのはわからないもの

数年のうちに、地元の有力者の支援を受けてパリへ渡り、ドガ、ドラクロワ、モネ、モロー、ルノワール、シスレーなど錚々たる芸術家を輩出した、エコール・デ・ボザールに入学を許されたのでした。

初めて本格的な芸術教育を受けたブコヴァッツは、めきめきと頭角を現し、なんとたった 1 年で、権威あるサロン・ド・パリ(パリの芸術アカデミーの公式展覧会)に作品が出展されるまでに。
肖像画家として名を成したブコヴァッツは、クロアチアだけでなく、ヨーロッパ各国で高い評価を受けるようになったのでした。

ちなみに、ブコヴァッツはドゥブロヴニク出身の美しいお嬢さんと出会って恋に落ち、家庭を築くのですが、生涯を通して、大変な愛妻家だったそう。
奥様の肖像画、非常にたくさん残しています。

柔らかく繊細で、息遣いが聞こえそうなほど生き生きとした描写からは、深い愛情が感じられて、うっとり…。
なお、お嬢さんも画家として活躍されているそうです。

ザグレブやウィーン、プラハといった都市を活躍の中心としたブコヴァッツ。
生まれ故郷であるツァヴタットには、ほぼ毎年、夏休みを過ごすために訪れたそうです。
1922 年にチェコで亡くなったブコヴァッツはツァヴタットに葬られ、今も生まれ育った美しい街で永遠の眠りについています。


ヴラホ・ブコヴァッツの家

この美術館では、ヴラホ・ブコヴァッツの油絵に加え、スケッチや習作、手紙、写真、家具なども展示されています。

また、壁もブコヴァッツが塗ったものがそのまま残されていて、色合いがなんとも味わい深い。
暖かく、自然な調和のとれた色合いは、ブコヴァッツの作品に通じる要素が感じられます。

100 年ほど前の住居、ということになりますので、ここはまさに、まるで時が止まってそのまま忘れ去られたようなノスタルジックな空間になっています。
とはいえ、古い家にありがちな陰鬱さはまったくなく、明るく、暖かく、包み込むような雰囲気があるのが特徴の一つ。

ちなみにこちら、10 数年前までは 1 階部分がツァヴタット・ブラスバンドの拠点となっており、展示は 2 階のみだったそうです。
今でも、1 階は若手アーティストの特別展示をしたり、子ども達のためのお絵かき教室的なイベントが開かれたり、様々に活用されることも。

地元の人に愛され、大事にされてきた暖かさが家に宿っているのでしょうか。とてもほっこりします。


アクセス

ヴラホ・ブコヴァッツの家はツァヴタット旧市街のちょうど真ん中あたりにあります。

ツァヴタットにつき、バス乗り場/駐車場から旧市街に出たら、まずは海沿いのプロムナードに沿って、旧市街のある半島の奥の方へ向かいましょう。

レストランやカフェのオープンテラスが並んだ場所を抜けると、少し道幅が広くなって小さな広場のようになった場所に出ます。
クロアチア独立の父、フラニョ・トゥジマンの胸像があるので、これを目印に。

胸像が見つかったら、辺りをキョロキョロしてみましょう。
すると、名所を矢印で示した案内板のようなものが見つかるはず。
この中に「Kuća Bukovac」という板があるので、これが指す路地に入っていきます。

ちなみに、こちら「美術館」といっても、もともとはブコヴァッツが住んでいた、普通のお家。
そのため、美術館っぽさがなく、入り口が多少わかりにくいかもしれません。

オープンしている時は、可愛らしい木造の小さな看板がお家の前に出されていることが多いので、それを目印にどうぞ。

入り口にも小さな案内板が掲示してあり、開館・閉館の時間などが書かれています。
門を抜けるとすぐに小さな庭があり、右手に入り口があります。

あまり訪れる人が多くなく、常に係の方が受付あたりにいるわけでもないので、中に入ってみて、係の人らしき人いたら声をかけてみてください。
「Hi, are you open now?(ハイ、アー ユー オープン ナウ?)」程度でわかってもらえると思います。

開館時間については、公式サイトのこちらをご確認ください → Kuća Bukovac

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