【ツァヴタット】中世の面影残る石造りの街 – ドゥブロヴニク観光拠点としてもおすすめ

【ツァヴタット】中世の面影残る石造りの街 – ドゥブロヴニク観光拠点としてもおすすめ

ドゥブロヴニク旧港と海を挟んで向かい合う小さな美しい街、ツァヴタット(Cavtat)。ドゥブロヴニクよりさらに長い歴史を持つとも言われるこの街は、静かで落ち着いた旧市街や透明度抜群のビーチ、レストランやカフェが並ぶ港などがあり、地元にもファンの多い素敵な場所。

空港にもドゥブロヴニクにもアクセスがよく、ドゥブロヴニクよりも価格控えめとあって、ドゥブロヴニク観光の拠点としても愛されています。今回はそんな魅力あふれる街、ツァヴタットをご紹介します。


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ツァヴタットの見どころ

ツァヴタットは、ドゥブロヴニクの胃袋を支える農業地帯、コナヴレ最大の都市。非常に古い歴史を持ち、中世に作られた石造りの旧市街だけでなく、観光地化されていない遺跡の数々が、周辺の美しい自然の中に散在しています。

街の中心地は、2 つの半島に守られ、気候の穏やかな小さな湾から、三方向を取り囲む丘の傾斜地にかけて広がっています。新しい家もどんどん増えつつある中、オレンジの屋根、石灰色の石壁、あちこちに見られるブーゲンビリアやオレンジの鮮やかな花や実に彩られながら、中世から変わらぬ雰囲気で佇む旧市街。

まるで時が止まったような旧市街から、ヤシの木の並ぶプロムナードに降りれば、穏やかな水面に数々のクルーザー、ボート、ヨットが浮かび、オープンテラスのカフェやレストランが並んでいます。

穏やかな景色を眺めながら、新鮮な野菜、果物、魚介類や、自家製のチーズ、ハム、パン、オリーブオイルなどをゆっくり堪能するもよし。ツァヴタットを起点に、日帰りで周辺の観光スポットに足をのばすもよし。シュノーケリングやダイビング、クルージングなどのマリンアクティビティ、またはハイキングに出かけ、山や丘の上から、はるかドゥブロヴニクまで見晴らせる絶景を楽しむもよし。

ヨーロッパの旅行雑誌で度々紹介され、バケーション先として高い評価を受けるのも納得。日本ではまだマイナーなツァヴタットですが、中・長期の滞在でも飽きることのない、とても素敵な小さな街です。
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旧市街

ツァヴタット旧市街は、2 本の指がピースサインのように海に突き出たツァヴタットの、2 本の指に囲まれた穏やかな湾、ルカ湾に面する場所にあります。

空港やドゥブロヴニクからのバスが発着するバスロータリーは、ルカ湾ではなく、その一つ奥にあるティハ湾(Uvala Tiha)という小さな入り江に面したところにあります。バスを降りたら、入り江に背を向けて辺りを見回してみてください。目の前に、観光案内所、売店、公共トイレとロッカーなどが入った背の低い灰色の建物が見えるはず。

旧市街は、この建物の裏の方向にあります。ドゥブロヴニクの旧市街と違い、門などはありません。旧市街のあるルカ湾にはヤシの木と、カフェやレストランが並ぶプロムナードがあり、そこから丘の斜面全体が旧市街。小道に入ればすぐに、タイムスリップするように旧市街に入り込むことができます。

旧市街の主な見どころはこちら。

ツァヴタット墓地とラチッチ廟 絶景スポットとして人気があります。日本だと墓地が観光対象になることはあまりないと思いますが、そこは感覚が違うようです。

旧市街の先端の高台にあり、海をはさんでドゥブロヴニクの城壁まで一望することができます。

ラチッチ廟は、1918 年にスペイン風邪で没したイヴォ・ラチッチ一家のため、クロアチアが世界に誇る大彫刻家、イヴァン・メシュトロヴィッチ(Ivan Meštrović)により建立された霊廟。

イヴァン・メシュトロヴィッチは、ユダヤ人の妻をホロコーストで失い、自身もクロアチアのファシスト政権に捕らえられ、投獄されますが、教会の介入により助け出され、アメリカに亡命するという波乱の人生を送った人。ザグレブの街中にあるニコラ・テスラ像や、スプリットにあるニンのグルグール司教像など、観光の途中で彼の作品を知らずに目にたことがあるかも。

こちらの霊廟を飾る彫刻も、静謐さの中に力強さの感じられる、とても素晴らしい作品。メシュトロヴィッチは、この霊廟の建立に 2 年を費やしたと言われています。

ヴラホ・ブコヴァッツの家 ヴラホ・ブコヴァッツは、ツァヴタットに縁の深い画家。上述のイヴァン・メシュトロヴィッチほどの世界的知名度はないものの、クロアチアを代表する芸術家の一人です。

ヴラホ・ブコヴァッツの家は、彼と家族が暮らした家を美術館ににして一般公開しているもの。小さいですが充実していて、画家の暮らしがまざまざと感じられる空間になっており、おすすめです。

営業時間が短めで、シーズンによってはお昼休みが 2 〜 3 時間ある場合があるので、訪問したい場合は事前にウェブサイトで確認するようにしましょう。

または、ツァヴタット旧市街に来たらまずここに来て、門の前に掲示されたオープン時間を確認し、その日の予定を調整してもいいかもしれません。

ドゥブロヴニクカード 3 日券、または 7 日券で無料になります。

雪の聖母教会とフランシスコ会修道院 ツァヴタットを代表する美しい建築。15 世紀頃建てられた古い石造りの小さな可愛らしい教会で、フランシスコ会修道院を併設しています。

観光地化された教会ではないので、一見、内部はちょっと薄暗くて地味な感じ。しかし、ヴラホ・ブコヴァッツによる雪の聖母画などもあり、知る人ぞ知る観光ポイント。

聖ニコラス教会 旧市街入り口近くにある教会。教会本体の建立は 15 世紀だが、鐘楼は 18 世紀になってから追加されたもの。外装はルネサンス様式、内装はバロック様式です。

内部には、シシリアの画家、カルメロ・レッジオ(Carmelo Reggio)、そしてツァヴタット出身のヴラホ・ブコヴァッツの絵画で飾られています。

また、聖ニコラス教会には、ギャラリーが併設されており、彫刻、絵画、陶器などが展示されています。特に聖ニコラスのイコンの数々は一見の価値あり。

ツァヴタット総督邸&バルタザール・ボジシッチ博物館/図書館 ツァヴタットの総督の住居跡。

ツァヴタットの裕福な商家に生まれた、19 世紀のクロアチアを代表する法学および社会学者バルタザール・ボジシッチの遺した膨大な資料を収めた図書館、記念館としても利用されています。

海岸沿いの遊歩道 ツァヴタットにはラット、ススティェパンの 2 つの半島があり、どちらも遊歩道で海岸沿いをぐるっと散歩することができます。

旧市街のあるラット半島の遊歩道はアクセスがよく、ビーチ、お店、住居などもあって人通りも多いです。誰にでも楽しめる気持ちのよい散歩道です。

ススティェパン半島の方は基本的に森になっており、遊歩道はちょっとしたハイキングコースのようになっています。ハイキング、トレッキング好きにはおすすめ。本格的なトレッキングシューズなどは不要ですが、運動靴でどうぞ。

プロムナード ツァヴタット港をぐるっと取り巻くプロムナードには、カフェやレストランがたくさんあり、ベンチもたくさんあってのんびりすごせます。聖ニコラス教会あたりに小さい公園のようなところがあって、子どもたちがいつもキャッキャしていて微笑ましい。

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海も、山も!美しい自然

旧市街のあるラット半島以外、ススティェパン半島やコナヴレにも見どころがたくさんあります。

名所見学よりも体験型の旅を好む方は、飽きずに毎日探検できること間違いなし。

ビーチ 旧市街のあるラット(聖ロクス)半島からドゥブロヴニク方面へ向かう海岸沿いには、小規模なビーチが点在しています。

なかには、海を挟んで反対側に小さくドゥブロヴニクの城壁が見えるビーチも。

水の透明度と相まってなんともいえない特別感が味わえます。

シーカヤック&シュノーケリング他 マリンアクティビティ ツァヴタット港周辺では、シーカヤック、シュノーケリング、ウォータースキー、日帰りクルージングなどバリエーション豊富なマリンアクティビティを楽しめます。

中にはドゥブロヴニク・カードでの割引が利くところもあり、サンセットクルーズなど 10 〜 15 % も割引になる場合も。カードをお持ちの方はぜひ申し込み時にご確認ください。

ワイナリー ツァヴタットを取り囲むコナヴレ山地には小規模なワイナリーがいくつかあります。個人でも訪問できますが、ドゥブロヴニク、またはツァヴタットからいくつかワインツアーが出ているので、それらを利用すると簡単。

マウンテンバイクツアー途中にワイナリーに立ち寄るというユニークなツアーもあります。

コナヴレ山地でのトレッキング&マウンテンバイキング&バギー&乗馬 ツァヴタットを取り囲むコナヴレ山地には、整備されたハイキング&トレッキング&自転車コースがいくつもあります。

観光案内所で詳しい情報が提供されていますし、バス乗り場のところに大きな地図も掲示されているので、合わせてご覧になるとよいでしょう。

コナヴレ観光局のホームページでもさまざまな情報や、トレッキングパスなどの地図などが提供されています。

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ツァヴタット – ドゥブロヴニク間の街と集落

ツァヴタットとドゥブロヴニクの間には、スレブレノ(Srebreno)やムリニ(Mlini)など、小さな街や集落がいくつかあり、ツァヴタットに行くのと同じバスやフェリーでドゥブロヴニクと簡単に行き来できます。

こちらはツァヴタットよりもさらに規模が小さく、住民、観光客いずれも数はぐっと控えめ。そのため、思わず息をのむほど美しい小さなビーチをほぼ独占して満喫できます。

利便性という点では今ひとつですが、中・長期でゆったり過ごすにはとてもよい場所。

また、スレブレノ、ムリニより手前(ドゥブロヴニク側)に、クパリ(Kupari)という、廃墟ホテル群で有名な場所があります。こちら、歴史ある超豪華リゾート地だったのですが、こちらは 1990 年代の戦争で破壊され、そのまま放置されて廃墟となりました。

ドゥブロヴニクの観光業の盛り上がりを受け、クパリの再開発計画が進められるような話もでてきているので、もしかすると数年後には見違えるようなリゾート地に生まれ変わっているかもしれません。もし見てみたい方がいたら今のうちにどうぞ。

立ち入りは自由ですが、倒壊や、物が落ちてきたり、床が抜けたりする危険性はありますので、安全に十分注意した上、自己責任でお願いします。なお、それ以外の治安上の問題はまずありません。
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ツァヴタットの歴史

ツァヴタットの前身は、ローマ時代に海上交通の要所として栄えたローマ系の海運都市、エピダウラム。当時の人口、実に 4 万人。なんと、現在のドゥブロヴニクとほぼ同じ規模だったそうです。

さて、ローマ帝国下において大都市として繁栄を謳歌したツァヴタットですが、4 世紀にこの平和な都市を予想外の悲劇が襲います。

記録的な大地震が発生し、ツァヴタットは壊滅的な被害を被ったのです。この地震の影響、およびローマ帝国の衰退に伴ってツァヴタットは弱体化。近隣に勢力を広げていたアヴァール人、スラヴ人の侵攻にさらされるようになりました。

この結果、ツァヴタットの住民は安全を求めて難民化。最終的にジュパ湾をはさんだ対岸に逃れ、そこに居住地を築きました。これがドゥブロヴニクの始まりだと言われています。つまり、ツァヴタットはドゥブロヴニクの生みの親とも言える存在なのです。

さて、ツァヴタットからの避難民によって大きく人口を増やしたドゥブロヴニクは、のちに共和国として独立し、ヴェネツィア共和国やジェノヴァ共和国と肩を並べる、ルネサンス期のアドリア海における一大勢力となっていきます。

しかし、ツァヴタットの方は、地震および侵攻の被害から完全に立ち直ることはついにありませんでした。今は昔の繁栄が嘘のような、こぢんまりとした小さな街として静かな佇まいをみせています。
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「ツァヴタット」という名前の由来

「ツァヴタット」という名前の由来には次のような諸説があります。歴史の古い街ならではの伝説、なかなか興味深いです。

通説 1:「古い都」というラテン語、Civitas Vetus(スィヴィタス・ヴェトゥス)

ドゥブロヴニクの元になった都市だから「古い都」でツァヴタット、という説。

通説 2:エピダウラスの支配者の娘、ツァヴティスラヴァ

エピダウラスの支配者には、その美貌で広く知られた、ツァヴティスラヴァという娘がいました。

さて、このツァヴティスラヴァ、 2 人の求婚者がおりました。ツァヴティスラヴァをめぐる 2 人の争いに決着をつけるため、彼らにはそれぞれ「コナヴレの山からツァヴタットへの水路を築く」「世界を巡って船いっぱいの絹を持ち帰る」という難題が課されることに。

さて、求婚者たちは課題に取り組みましたが、絹を持ち帰ることを課された若者の船は、エピダウラスの目の前で嵐に巻き込まれ、沈没。若者の夢は儚く潰え去ってしまいます。

対するもう一人の若者は無事課題を成し遂げ、水路が建設されました。ちなみに、この時に作られたというローマ水道の跡、現在でもコナヴレの山中で見ることができます。

しかし、水路開通の祝祭が開かれたその日のこと。ツァヴティスラヴァが最初の水を受けようと黄金の壺を掲げたところ、なんと、水のかわりに突然巨大なトカゲが現れ、ツァヴティスラヴァに飛びかかります。ツァヴティスラヴァは激しいショックを受け、倒れてそのまま亡くなってしまいました。

このトカゲは、課題が果たせず、ツァヴティスラヴァとの結婚の可能性のなくなったことに絶望したもう一人の若者が、結婚を邪魔するために仕込んだものだと言われています。通説 2 では、大地震でエピダウラスが壊滅した後、このツァヴティスラヴァの名前にちなんでつくられたのがツァヴタット、ということになっています。

通説 3: 「花が咲く」という意味のクロアチア古語、「captiti(ツァプティティ)」という古語

この地域には、黄色い花の咲くジュニパーの多く自生しており、毎年、コナヴレの麓は黄色に染まります。

大地震による壊滅的被害を受け、異民族の侵略や攻撃を立て続けに受け、ローマ時代の栄華が夢のように崩れ去ったツァヴタット。

しかし、毎年時期が来る度にあふれるこの黄金の花のように、いつかツァヴタットが美しく再建され、再び咲き誇る日が来ることへの祈りをこめ、ツァヴタットと名付けられた、というのが通説 3。ツァヴタット、そしてコナヴレが経験してきた苦難の歴史を知ると、この説のように、再びツァヴタットが穏やかに咲き誇る日が来てほしいなあと、ついこの説に肩入れしたくなります。
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写真
アクセス

ドゥブロヴニクからはケーブルカー前のバス乗り場から 10 番のバスで約 45 分(終点のツァヴタットまでで 25 Kn)、または旧港からのフェリーで 40 分程度。

フェリーは 6 月から 10 月くらいまで利用でき、大型のホテルおよびツァヴタット港で簡単に捕まえることができます。ツァヴタット – ドゥブロヴニク間のバスでの移動についてはこちらのページにまとめてあるので合わせてご覧ください。
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