​ 聖ヴラホ教会: St. Blaise’s Church / Crvka sv. Vlaha

聖ヴラホはドゥブロヴニクの守護聖人。ドゥブロヴニクの城壁、門の上、主要な建物の壁など、市内のあちこちに、左手(※まれに右手のものも)にドゥブロヴニクの模型を抱えた聖ヴラホ像が刻まれています。

この守護聖人を祀った教会が聖ヴラホ教会。ストラドゥン(プラツァ通り)の端、ルジャ広場で、今もドゥブロヴニク旧市街を見守り続けています。


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The Church of St. Blaise
Image Credit: Jennifer Boyer via Flicker

聖ヴラホ教会の歴史

ルジャ広場の聖ヴラホ教会は、もともとは 1368 年に建てられたもので、当時はロマネスク様式だったようです。しかしこの古い教会は 1667 年のドゥブロヴニク大地震で大きな損傷を受け、さらに、1706 年に発生した火事で修復不可能な状態になってしまいました。

現存する美しいバロック様式の聖ヴラホ教会は、1715 年に再建されたもの。イタリアの建築家、マリオ・グロペッリにより、ヴェネツィアのサン・マウリツィオ教会をモデルとしてデザインされました。

現存する聖ヴラホ教会は、ギリシャ十字型をしており、広々とした入り口の階段は、天使像の刻まれたポータルとステンドグラスで美しく装飾されています。

教会の正面の壁は 4 本のコリントス式の柱で区切られており、優雅な弧を描く屋根にはマリオ・グロペッリ作の彫刻が 3 体。中央は聖ヴラホ、残り 2 体は「信心」と「希望」を人の姿で表したものだそうです。

大理石製の内部の主祭壇にある銀製の聖ヴラホ像は、作者不明ながら、1667 年の大地震より前に作成されたものであることがわかっています。つまり、この像が抱えるドゥブロヴニクの模型は、大地震で壊滅する以前の街の姿をかたどったもの。

大地震前の街の様子を伝えるものは、資料からしてとても珍しいので、この像の歴史的価値は非常に高いのです。

また、歴史的価値だけでなく、この像には、これを更に特別なものとするエピソードが存在します。

なんとこの像、古い教会が大地震や火事で徹底的に破壊されてしまった中、がれきの中からほぼ無傷で発見されたのです。これは聖ヴラホの奇跡的な力の象徴として、さらに人々の信仰を深めることとなりました。
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ドゥブロヴニクが共和国として独立していた中世から使われている旗。聖ヴラホ(別名聖ブラシウス: St. Blaise)がドゥブロヴニクの模型を抱えているのがよくわかる – Image via Wikipedia

聖ヴラホとは

聖ヴラホ(=聖ブラシウス)は今のトルコ(当時はアルメニア王国)出身の医師で、のちに司教となった人物。怪我や病気を治す不思議な力を持っており、多くの人々や動物を癒し、救ったそうですが、のちに迫害の対象となって拷問を受け、非業の殉教を遂げました。

なお、伝説によると、人や家畜のみならず、野生の動物もが、助けをもとめて聖ヴラホにすがったそうです。そして、治してもらったお礼に様々な形で聖ヴラホの手伝いをしたのだとか。そのため、聖ヴラホは家畜を始めとする動物の守護聖人ともされています。

さて、聖ヴラホはまた、中世ヨーロッパで広く信仰された十四救難聖人(※Wikipedia のページがひらきます)の一人でもあります。十四救難聖人は、それぞれ、頭痛、急死、ペストなどの特定の守護対象をもち、困難に直面した人々を救ってくれると信じられていました。聖ヴラホの守護対象は喉に関する疾病と不調であり、ドゥブロヴニクにも、聖ヴラホのご加護により、喉の不調が奇跡的に解消した逸話が残っています。

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聖ヴラホのお告げ: ドゥブロヴニク守護聖人となった経緯

言い伝えによると、971 年 2 月、当時敵対関係にあったヴェネツィア共和国籍の船が水の補給を求めてドゥブロヴニク旧港に寄港しました。旧港沖にこの船が停泊したのが 2 月 2 日から 3 日にかけての夜だったそうです。

そしてまさにその晩のこと。地元の司祭、ストイコがたまたま高台にある聖ステファノ教会前を通ると、夜であるにもかかわらず、教会の扉が大きく開け放たれています。不審に思ったストイコが教会に足を踏み入れたところ、そこには天使に囲まれた老人の姿がありました。

老人は、ストイコに、ヴェネツィア軍が奇襲を試みようとしていると告げます。そして、ヴェネツィアの船を数日間沖にとどめるので、評議会に奇襲策を告げて街の守りを固めるよう促しました。驚いたストイコが老人に名前を尋ねると、老人はヴラホと名乗ったと言われています。

ストイコがこの出来事を評議会に告げたところ、評議会は半信半疑ながら、念のため、防御体制を整えました。そしてその数日後。実際、ヴェネツィア軍がドゥブロヴニク近海に現れたのです。

しかし、攻撃できるほど近づいた時には、すでにドゥブロヴニクの防御態勢は完璧に固められていました。そのため、ヴェネツィア軍は奇襲失敗を悟り、そのまま退散したということです。

この出来事以降、ドゥブロヴニクは聖ヴラホを街の守護聖人とし、厚い信仰を捧げるようになりました。
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Viator

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ドゥブロヴニクの聖ヴラホ祭

聖ヴラホの日である毎年 2 月 3 日、ドゥブロヴニクでは聖ヴラホ祭が行われます。このお祭りでは、聖ヴラホ教会の司祭が聖ヴラホの聖遺物(頭、両手、喉骨の一部)が収められた金属製の容器(手から前腕をかたどった容器)を捧げもち、ドゥブロヴニク旧市街をパレードします。

ストラドゥン(プラツァ通り)を埋め尽くす群衆が、どうにかして聖遺物の収められた金属製の手に触れようと手を伸ばし、キスをし、祈りを捧げる様子はまさに圧巻。普段の観光都市の姿からは想像できないような、伝統が色濃く残る地方都市としてのドゥブロヴニク本来の姿を垣間見ることができます。

観光で訪れるとほぼ意識することはないと思いますが、クロアチアは全人口の 85% がカトリック。毎週欠かさず教会に行く敬虔な信徒はむしろ少数派であるものの、キリスト教の教えは人々の精神の根底の部分に深く根づき、切り離せない一部となっています。

この聖ヴラホ祭は、普段見えないそういった部分が前面に出てくる貴重な機会。オフシーズンで観光客も少ない時期に行われるこのお祭りでは、長い歴史の中で人々が暮らす街、そしてドゥブロヴニク共和国市民の末裔というアイデンティティに裏付けられた強烈な地元愛を持つ人々の、本来の姿を垣間見ることができます。
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聖ヴラホ教会と結婚式

ドゥブロヴニクはヨーロッパで最もロマンチックな街の一つと言われているため、ドゥブロヴニクでの結婚式は非常に人気があります。そして数ある教会の中でも、聖ヴラホ教会は特に大人気。時には、数組の結婚式が入れ替わり立ち替わり行われることもあるほどです。

なお、クロアチアはお役所の手続きがかなり煩雑。外国人の Legal marriage(リーガル・マリッジ: 法的な効力のある結婚)となると、たとえ同じ EU 圏の方同士でもかなり面倒です。そのため、外国の方がクロアチアで海外挙式をする場合は、実際の結婚の手続きは自国で行い、クロアチアでは Symbolic Marriage(シンボリック・マリッジ)または Blessing Ceremony(ブレッスィング・セレモニー)といわれる、いわゆる教会での挙式の部分だけを行うケースも多くあります。

Symbolic Marriage パッケージを提供するブライダル会社も増えているので、外国人の海外挙式先としての人気はこれからも上がっていきそうです!
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アクセス

ピレ門からストラドゥン(プラツァ通り)をまっすぐ進み、突き当りにあるルジャ広場まで行きましょう。広場の真ん中に微笑みを讃える中世の騎士像、オルランドの柱があり、その奥にあるのが聖ヴラホ教会です。

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