​ スポンザ宮殿: Sponza Palace

​ スポンザ宮殿: Sponza Palace

スポンザ宮殿は、ストラドゥン(プラツァ通り)の終わり、オルランドの柱のあるルジャ広場に面する、美しいゴシック・ルネサンス様式の建物。1667 年の地震により一度壊滅したドゥブロヴニク旧市街において、例外的に地震前の姿を今に伝える、非常に貴重な歴史的建造物です。

この記事では、そんなスポンザ宮殿についてご紹介します。


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Sponza Palace, the Old City, Dubrovnik, Croatia
Image credit: wiredtourist.com via Flickr

スポンザ宮殿のみどころ

  • 装飾:
    • スポンザ宮殿を飾る美しい彫刻、石造の装飾の数々は、コルチュラ島出身の名工、アンドリィッチュ兄弟の手によるもの。アトリウムの奥の壁の、イエス・キリストを表す文字が刻まれたメダルを掲げる二人の天使は、イタリアのベルトランド・ガリクスの作品です。

 

  • ドゥブロヴニク・サマー・フェスティバル開会式:
    • スポンザ宮殿は、毎年 7 月 10 日から 8 月 25 日を会期として行われる芸術の祭典、ドゥブロヴニク・サマー・フェスティバルのオープニング・セレモニーの会場です。
      フェスティバルの始まる 7 月 10 日、ドゥブロヴニク総督を始めとする共和国議員に扮した役者達が、フェスティバルに出演するためにドゥブロヴニクを訪れたアーティストを迎え入れます。やってきたアーティスト達は、まず彼らの前で技と知識を披露。それを受けて評議会が開かれ、話し合いの結果として、総督からアーティストに対し、ドゥブロヴニクに自由に出入りする許可と、それを象徴する鍵が与えられます。
      これが、昔から変わらず毎年行われるサマー・フェスティバルの伝統となっています。

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ドゥブロヴニク共和国時代のスポンザ宮殿

ドゥブロヴニク共和国時代、スポンザ宮殿にはいくつかの政府機関のオフィスが置かれていました。造幣局、銀行、武器庫、宝物庫、税関などです。

ただ、宮殿の中心にあるアトリウムが商取引を行うビジネスセンターになっており、税関および保税蔵置場としての役割が特に目立ったため、通称としては「税関」と呼ばれていました。アトリウムに沿って並ぶ保税蔵置場は、それぞれ聖人の名前がつけられており、それぞれ入り口にそのイニシャルが刻まれています。

アトリウムのアーチには「FALLERE NOSTRA VETANT; ET FALLI PONDERA: MEQUE PONDERO CVM MERCES: PONDERAT IPSE DEVS(我々の秤にごまかしは存在しない。私が計測する時、神も共に計測を行うのだ。)」という言葉があり、ドゥブロヴニク共和国の商取引に対する姿勢を今の世に伝えています。

卓越した外交手腕と海上貿易の成功により、一時はヴェネツィア共和国以外に比肩しうる者がいないほどの趨勢を極めたドゥブロヴニク共和国。商取引の規則、倫理を厳正に守り、安心して取引を行える商環境を確保することによってビジネスを活性化するという手法は、現代にも通用する、先鋭的な取り組みと言えるでしょう。

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スポンザ宮殿の歴史的な価値

スポンザ宮殿は、ドゥブロヴニク旧市街の中でもちょっと特別な建物。ドゥブロヴニク旧市街は、中世の街並が非常によい状態で保存されていますが、その大部分が 1667 年の大地震の後に復興、再建されたものであり、大地震以前の街並については、地震や火事、戦争などの中、奇跡的に残った数少ない古文書から推察することしかできません。

これに対し、スポンザ宮殿は大地震に先立つこと約 150 年、建築家パスコイェ・ミリチェヴィッチのデザインに基づいて 1516 〜 1522 年に建設されたもの。奇跡的に大地震を無傷で切り抜け、地震前のドゥブロヴニクがどのような街だったかを今に伝える、非常に貴重な建物なのです。

しかし、それだけではありません。スポンザ宮殿の真の価値は、おそらく、建物自体の価値よりさらに深い部分、この建物が持っていた機能が地震に影響されず生き残った点にあります。上述の通り、スポンザ宮殿は、ドゥブロヴニク共和国の商取引きの中心地でした。このスポンザ宮殿がほぼ無傷のまま地震を切り抜けたため、ドゥブロヴニク共和国は地震後、比較的迅速に商取引きを再開することができたのです。海運業によって富を築いたドゥブロヴニクに取って、これは計り知れないほど大きな意味を持っていました。

建物の 4 分の 3 が倒壊し、3000 〜 5000 人もの死者が出たという壊滅的な地震によって一気に弱体化したドゥブロヴニクが共和国として独立を保つ上で、スポンザ宮殿が果たした役割はまさに決定的なものだったと言えるでしょう。

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現在のスポンザ宮殿

スポンザ宮殿は、16 世紀終盤に、ドゥブロヴニクを代表する詩人、文筆家の活動拠点として利用されていました。その流れを受け、スポンザ宮殿の図書館では、多数の貴重な文書を所蔵しており、現在でも公共の資料館として利用されています(図書館は一般公開されていません)。

また、入り口近くの小部屋では 1990 年代に起こったクロアチア独立戦争に関する展示が行われています。観光客で溢れ、明るく平和な今のドゥブロヴニクから壁一枚隔てた場所に並ぶ、黒煙を上げて炎上する旧市街、砲弾により破壊された城壁や旧港、そして何よりも犠牲となった人々の写真の数々…。

観光客として訪れると気づきにくいですが、ドゥブロヴニクを含むクロアチア、および旧ユーゴスラビア諸国は、未だにこの戦争の余波から完全に復興したとは言えない状態にあります。すぐそこのお店で笑顔で働く地元の人々も、20 代後半以上の人であれば、直接戦争を経験している人が多いです。

色々と考えさせられる展示ですので、ご興味があれば是非、こちらにも足を運び、歴史に思いをはせる一時をお過ごしください。

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「スポンザ」の名前の由来

オノフリオの噴水ができ、山間の水源から真水を確保できるようになる前まで、ドゥブロヴニクは水資源を雨水に依存していました。ドゥブロヴニクの家々には雨樋が巡らされ、このスポンザ宮殿の場所あたりに雨水が集められて、飲用水、および生活用水に当てられていました。そして、これこそが「スポンザ」という名前の由来。つまり、「sponza – spongia – スポンジ(海綿、および河川の堆積物が集まる場所)」なのです。

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アクセス

ピレ門からストラドゥン(プラツァ通り)を時計台に向かってまっすぐ進みましょう。スポンザ宮殿は行き当たりの左手にあります。

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