​ルジャ広場の時計台: The Clock Tower

​ルジャ広場の時計台: The Clock Tower

ストラドゥン(プラツァ通り)の端、スポンザ宮殿前のルジャ(Luža)広場に面して、一際背の高い時計塔があります。塔の高さは 31m、遠くからでも良く見える時計盤とその上の鐘は、ドゥブロヴニクの代表的なイメージとして数々の映像、写真などの題材として使用され、地元の皆さん、観光客いずれにも広く愛されています。

この記事では、この時計台にまつわるエピソードをご紹介します。


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iStock. by Getty Images ポートフォリオ: marimjx
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鐘をつく兄弟像

こちらの時計塔の鐘がなる時に居合わせたら、ぜひこの鐘の部分をよく見てみてください。もしかすると、二人の兵士が鐘をついているのが見えるかもしれません(周りの建物からの方がよく見えます)。

この二人は「バロ」と「マロ」という名の兄弟。地元では、またはその錆びた青銅の色から、「ゼレンツィ(Zelenci)」、つまり「緑の男」と呼ばれています。作者はイヴァン・ラブリャニンという地元の鋳物職人で、砲弾や鐘作りの名手。ドゥブロヴニク史に残る伝説的な巨大大砲、ミンチェタ・タワーにあった「美女」およびロヴリイェナツ要塞にあった「トカゲ」の作者としてもよく知られています。

現在のゼレンツィはオリジナルではなく、時計塔の修復の際に作り直された新しいものですが、 オリジナルのゼレンツィ、そして彼らのつく鐘は総督邸に展示されていて、今でも当時の姿をそのまま見ることができます。
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時計台の歴史

この時計塔は、もともとは 1444 年に建てられました。丈夫な建物で、数度の大地震を経験しても崩壊することはありませんでしたが、徐々に傾いてきたたため、18 世紀になって 5 年がかりの大規模な修復が行われました。

この時の修復費用は、南米チリに移住し、成功した元ドゥブロヴニク住人が負担しました(*1)。この家族はその後 100 年以上、何世代にも渡って、この時計塔のメンテナンスを担当してきているそうです。
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(*1) クロアチアの政情が不安定だった 1800 年代から 1900 年代にかけ、数千人ものクロアチア人が南米に移住しました。各地に受け入れられましたが、特にチリにおいては非常にスムーズに地元社会に溶け込むことに成功。そのため、チリにおけるクロアチア系コミュニティはボスニア・ヘルツェゴビナに続く、世界で 2 番目の規模にまで拡大し、現在ではチリの全人口の約 2.5 % にあたる 38 万人がクロアチア系となっています。

また、この時移住したクロアチア人の中には多くのワイン生産者が含まれており、彼らが南北アメリカ大陸のワイン生産のクオリティ向上に大きく寄与したとも言われています。
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