レヴェリン要塞(考古学常設展示あり): Revelin Fort & Archaeological exhibitions

レヴェリン要塞は、ドゥブロヴニク旧市街を囲む城壁の東の門、プロチェ門にある、非常に堅牢な要塞。城壁の最大の弱点である開口部、門に鉄壁のガードを施すため、城壁本体の建造に遅れること、数百年して作られた要塞なのです。

さて、そんなレヴェリン要塞。現在は、ドゥブロヴニク周辺の遺跡からの出土品や、中世の鋳造所跡を展示する考古学展示場、ドゥブロヴニクの有名ナイトクラブ「カルチャー・クラブ・レヴェリン」、そしてドゥブロヴニク交響楽団の本拠地と、なかなか例のないユニークな使い方をされています。

今回は、そんなレヴェリン要塞についてご紹介します。


目次】


iStock. by Getty Images ポートフォリオ:Mari_mjx
Instagram Profile:@marimjx


レヴェリン要塞とは

レヴェリン要塞は、ドゥブロヴニク旧市街をぐるっと取り囲む城壁の東側の門、プロチェ門のすぐ外にある要塞。

ドゥブロヴニクの城壁には、ミンチェタ、ボカール、聖イヴァンなど、城壁と一体化した要塞が幾つかあります。しかし、レヴェリン要塞は城壁とは一体化しておらず、別個の建造物として、城壁のすぐ外に作られました。

これは、城壁、および一体型要塞が旧市街を守るために作られているのに対し、レヴェリン要塞は城壁そのもの、より厳密には、城壁の最大の弱点である開口部、門(この場合はプロチェ門)を守るための設備だからなのです。

ここで、ヨーロッパの城郭・要塞好きな方にはピンとくるかもしれません。

「レヴェリン」という名前、これは「ラヴリン」、日本語では「半月堡」のこと。つまり、城・城壁の開口部(日本で言う虎口)から濠を隔て、開口部を覆うように作られる小さな防御・攻撃拠点(日本で言う馬口)です。函館の五稜郭でも見ることができますね。星型要塞などでは三角形に作られることが多いですが、ドゥブロヴニクに現存するものは台形に近い形です。

それ自体が難攻不落とも思える、堅牢そのものの城壁をすでに有するドゥブロヴニク。なぜ、さらに、このような大規模なラヴリン、レヴェリン要塞を造る必要があったのでしょうか。

その答えにつながるヒントは、レヴェリン要塞のある方角に見ることができます。その方角とは、東。

さて、レヴェリン要塞が最初に作られたのは 1463 年のこと。これに先立つこと 10 年の 1453 年、東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルがオットーマン帝国によって陥落しました。そして続く 1459 年にはセルビア、1463 年にはドゥブロヴニク共和国の隣国ボスニア王国がオットーマン帝国に制圧されることになります。

とは言え、ここは、ほとんど奇跡的と言っていいレベルの外交技術と莫大な富を持つドゥブロヴニク共和国。この時すでに裏での根回しは完璧に行われていました。ドゥブロヴニク共和国は、名目上オットーマン帝国の従属国となり、献金を行う代わりに、庇護を受ける協定を取り交わしてあったのです。

しかし、そのさらに裏では、オットーマン帝国の敵国であるキリスト教圏の大国にも献金や支援を行い、あわよくばオットーマン帝国を倒してもらおうという働きかけもしていたドゥブロヴニク共和国。命運を賭けた駆け引きを常にしている状態ですので、不測の事態への備えは万全である必要があったのでした。

なお、レヴェリン要塞は、建造当初は土塁に毛が生えたくらいの簡素なものだったそうです。それが徐々に強化されていき、最終的には、1538 年、要塞建築で知られたアントニオ・フェッラモリノ(Antonio Ferramolino)を招聘。11 年かけて、ほぼ現在のような形に生まれ変われることになりました。

生まれ変わったレヴェリン要塞は、現存するドゥブロヴニクの要塞の中でも特に大規模で、堅牢さもダントツ。1667 年のドゥブロヴニク大地震で旧市街が壊滅的被害を被った際も、レヴェリンは被害を受けず、復興時には政府、裁判所、宝物庫などとして利用されたそうです。
目次に戻る


現在のレヴェリン要塞

上述の通り、レヴェリン要塞は、現在 3 つの顔を持つ施設となっています。その 3 つの顔とは、ドゥブロヴニク交響楽団の本拠地、考古学常設展示場、そしてドゥブロヴニク一の有名ナイトクラブである「カルチャー・クラブ・レヴェリン」。最初の 2 つは、まあありそうな話ですが、最後にナイトクラブを持ってくるのが非常にユニークです。

日本だとあまりイメージがないと思うんですが、クロアチア(の一部)は、最近ヨーロッパの中で「ネクスト・イビサ」と言われる(こともある)ホットなパーティースポットになりつつあります。特に夏場は、フヴァル島、パグ島、スプリットなど、海辺を中心に Ultra や Electric Elephant などのメガイベントが数多く開かれ、それはそれは大変な騒ぎになるわけです。

ドゥブロヴニクは、幸いまだそこまで激しい Partying はないですが、カルチャー・クラブ・レヴェリンにもけっこう大御所な DJ などがやってくることもあります。興味のある方、Culture Club Revelin の Web サイトでイベントチェックしてみてくださいね!もちろん、EDM だけでなく、音楽にしても、何かの催しにしても、様々なジャンルのイベントがあります。

中世に作られた石造りの歴史的建物が、そのままクラブになっているというのはやはり珍しいので、話の種にはなります。大都会でいつも夜遊びしているタイプの方には、イベント自体はもしかしたら物足りないかもしれませんが…。

なお、ドゥブロヴニクで一番広いテラスでもある屋上のテラスも、サマー・フェスティバルなどでイベント会場として使用されることがあります。

さて、レヴェリンの夜の顔はともかく、昼に観光に来て文化に親しみたい場合は、考古学常設展示をのぞいてみましょう。

こちら、ドゥブロヴニク・カードで入ることのできる施設のうちの 1 つ。展示スペースはコンパクトで、人もあまり入っていません。しかし、ドゥブロヴニクという街の歴史のふるさを実感できる、古代ギリシャ、古代ローマ時代からの出土品や、中世の鋳造所の炉などがそのまま展示されていて、これはこれでけっこう面白いです。

ドゥブロヴニクの伝説的鋳物師、イヴァン・ラブリャニン(かつてミンチェタ要塞に置かれた「美女」の異名をとった怪物級の大砲や、ルジャ広場の時計台の鐘と、その鐘をつく兄弟像を作った人)が、後世に残る作品を作ったのが、このレヴェリン要塞内の鋳造所だそうです。

伝説の名匠によって、ドゥブロヴニク史に残る大砲が作られた鋳造所跡…。現在は、深い大きな穴が残っているくらいではありますが、その歴史を知って眺めると、ものすごくかっこよく見えてしまいます…。
目次に戻る


アクセス

レヴェリン要塞の場所、非常にわかりやすいです。旧市街のプロチェ門の外門にくっついた形になっていて、城壁側の内門とと石橋でつながっているのがレヴェリン。オーケストラの練習中は、かすかにキレイな音が聞こえてきます。 ちなみに、ドゥブロヴニク交響楽団では、とっても素敵な日本人のヴァイオリニストも活躍されているのです❤

入り口はちょっとわかりにくいかもしれません。プロチェの外門に入ったら、横の壁を眺めながら進んでください。一応、サインは出ていますが、ドアは控えめでわかりにくいので、わからなければ周りの人に聞いてみてくださいね。


目次に戻る

観光情報カテゴリの最新記事

Copyrighted Image