ドゥブロヴニク旧市街観光スポット: レヴェリン要塞

レヴェリン要塞は、ドゥブロヴニク旧市街を囲む城壁の東の門、プロチェ門にある、非常に堅牢な要塞。
城壁の最大の弱点である開口部、門に鉄壁のガードを施すため、城壁本体の建造に遅れること、数百年して新たに建設された守りの要所なのです。

このレヴェリン要塞、現在は、考古学展示場、ナイトクラブ、ドゥブロヴニク交響楽団が入居する、遺跡としてはなかなか例のないユニークな使い方をされています。

今回は、そんなレヴェリン要塞についてご紹介します。


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レヴェリン要塞とは

レヴェリン要塞は、ドゥブロヴニク旧市街をぐるっと取り囲む城壁の東側の門、プロチェ門のすぐ外にある要塞。

ドゥブロヴニクの城壁には、ミンチェタ、ボカール、聖イヴァンなど、城壁と一体化した要塞が幾つかあります。
しかし、レヴェリン要塞は城壁とは一体化しておらず、別個の建造物として、城壁のすぐ外に作られました。

これは、要塞の目的の地外によるもの。
城壁一体型要塞が旧市街を守るために作られているのに対し、レヴェリン要塞は城壁そのもの、より厳密には、城壁の最大の弱点である開口部、門(この場合はプロチェ門)を守るためにあるからなのです。

ここで、ヨーロッパの城郭・要塞好きな方にはピンとくるかもしれません。

「レヴェリン」という名前、これは英語では「ラヴェリン(raveline)」、日本語では「半月堡」のこと。
つまり、城・城壁の開口部(日本で言う虎口)付近に、開口部の防御のために作られる小要塞・攻撃拠点(日本で言う馬口)です。

函館の五稜郭でも見ることができますね。
五稜郭のような星型要塞などでは、城壁外部に張り出すような形で、三角形に作られることが多いですが、ドゥブロヴニクに現存するものは台形に近いです。


裏にはそんな事情が!?…レヴェリン、後づけ建設の背景

全体が堅牢そのものの城壁に囲まれ、レヴェリン建設時にはすでにかなり高い防御力を有していたドゥブロヴニク。
それなのになぜ、莫大な費用を投入して、さらに、こんな大規模な防衛拠点、レヴェリン要塞を造る必要があったのでしょうか。

その答えにつながるヒントは、レヴェリン要塞のある方角に見ることができます。
その方角とは、東。

レヴェリン要塞が最初に作られたのは 1463 年のこと。
これは、1453 年に、東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルがオットーマン(オスマン・トルコ)帝国によって陥落した 10 年後にあたります。

ちなみに、当時ドゥブロヴニクは、クロアチアの他の部分とは一体化しておらず、ドゥブロヴニク共和国という独自の都市国家として、海運で築いた富をベースに繁栄を謳歌していました。

しかし、コンスタンティノープル陥落に続き、オットーマン帝国は破竹の勢いで拡大を続け、ドゥブロヴニクの周辺地域を次々に制圧していきます。
1459 年にはセルビアが陥落。
そしてレヴェリンが作られた 1463 年には、ついに、ドゥブロヴニク共和国の隣国、ボスニア王国までもが、オットーマン帝国の軍門に下ることとなりました。

すぐ目と鼻の先にまで迫りくる、異教の軍。
小国ドゥブロヴニク、さぞかし戦々恐々とし、恐怖に打ち震える日々を過ごしていたことでしょう。

…と思いたいところですが、そこはちゃっかりしていることで名を馳せたドゥブロヴニク共和国。

この緊迫した状況下でも裏の根回しはガッチリ行ってありました。
オットーマン帝国にすすんで莫大な献金を行い、書面上で従属国となることで、オットーマン帝国から庇護され、イスラム教への改宗も必要なく、貿易も自由にできる状態をすでに確保してあったのです。
さすが。

でもそれだけでは終わらないのが、驚異のしたたかさん、ドゥブロヴニク共和国。
この時も、異教徒に国の名義を売って存続を買ったけれども、魂まで売ってしまったわけではなかった!

実は、オットーマン帝国の属国になったふり(書面上では実際なっていますが)をして、裏で、キリスト教圏の大国やバチカンにも莫大な献金や技術的、人的支援を提供していたのです。
さらには、あわよくばオットーマン帝国を追い払ってもらおうということで、十字軍の際には軍艦や船員、食料を提供して支援したりなども(バレないように&バレても言い訳できる状況を確保しながら)しっかりやっていました。

そして、これだけでも十分したたかですが、そこではまだ終わらないのがドゥブロヴニク。

この微妙な立場をフル活用して、国家ぐるみで二重スパイのように動き、自国のメリットを最優先しながら、行き交う情報をほどよくコントロールし、政治力と資金力で双方の有力者と強力なコネをつくる。
そうやって、うまいこと敵対する大国を転がすことで、この激動のバルカンの小地域において、その後数百年にわたって国家として生き残るという奇跡を実現したのです。

西、東どちらからも完全に信用されることはないし、なにかと嫌われがちだけれども、ドゥブロヴニクがそのまま泳ぎ続けていてくれた方が双方にとっておいしい、という状況を作ったわけですね。
…なんという外交上手でしょうか。

ただ、もちろん、常にそういう危ない橋をわたって、知力、財力、政治力など、持てる力を総動員してギリギリのバランスを維持し続けているわけですから、不測の事態に備える必要があることは、自分達でも熟知していたわけですね。

国の内政をガッチガチに固め、裏切り者が出ない仕組み、そして裏切り者がでれば迅速に対処できる仕組みをつくるのもその備えの一環。
そして、レヴェリンを建設し、万が一、オットーマン帝国の軍隊が旧市街に迫った時に旧市街を防衛できるようにするのも、その一環だったということになります。

なお、建造当初のレヴェリン要塞は、土塁に毛が生えたくらいの簡素なものだったそうです。
それが徐々に強化されていき、1538 年、要塞建築で知られたアントニオ・フェッラモリノ(Antonio Ferramolino)を招聘し、当時の世界最高峰の技術を取り入れ、11 年かけて、最終的に現在の形になりました。
要塞の中には鋳造所もあり、大砲や砲弾などはここで鋳造することもできる、多機能要塞なのです。

生まれ変わったレヴェリン要塞は、現存するドゥブロヴニクの要塞の中でも特に大規模で、堅牢さもダントツ。
実際に、1667 年のドゥブロヴニク大地震で旧市街が壊滅的被害を被った際も、レヴェリンは被害を受けませんでした。
そのため、復興時には政府、裁判所、宝物庫などが入居する公的施設して利用されたそうです。


現在のレヴェリン要塞

現在のレヴェリン要塞は、次の 3 つの顔を持つ施設となっています。

  • ドゥブロヴニク交響楽団の本拠地
  • 考古学常設展示場
  • ドゥブロヴニク一の有名ナイトクラブ「カルチャー・クラブ・レヴェリン」

最初の 2 つは、まあありそうな話ですが、最後のナイトクラブにはちょっとびっくりしませんか?
ちなみに、ここでいうナイトクラブというのは、銀座などのお姉さま方のいるクラブではなく、DJ がいて、クラブミュージックガンガンで、若者が踊りにいくクラブのことです。

日本だとあまりイメージがないと思うんですが、クロアチア(の一部)は、最近ヨーロッパの中で「ネクスト・イビサ」「ネクスト・マガルフ」などと言われる(こともある)ホットなパーティースポット。
特に夏場は、フヴァル島、パグ島、スプリットなど、海辺を中心に Ultra や Electric Elephant などのメガイベントが数多く開かれ、それはそれは大変な騒ぎになるわけです。
イギリスやらアイルランドやらの超強烈なパーティーピーポーがこぞってやってきて、ご乱心の限りを尽くすので、ここ数年、ちょっとした社会問題化しています。

ドゥブロヴニクは、幸いまだそこまで激しい Partying はないですが、カルチャー・クラブ・レヴェリンにも、けっこう大御所な DJ などがやってくることがあります。
興味のある方、Culture Club Revelin の Web サイトでイベントチェックしてみてくださいね!

ヨーロッパなので EDM が多いですが、それ以外のイベントもありますし、クロアチアの著名人の結婚式の会場に選ばれたりなどもしています。
ハロウィーンの時などは毎年ハロウィーンパーティーがありますね。

中世に作られた石造りの歴史的建物が、そのままクラブになっているというのはやはり珍しいので、話の種にはなります。
大都会でいつも夜遊びしているタイプの方には、イベント自体はもしかしたら物足りないかもしれませんが…。

なお、ドゥブロヴニクで一番広いテラスでもある屋上のテラスも、サマー・フェスティバルなどでイベント会場として使用されることがあります。

さて、レヴェリンの夜の顔はともかく、昼に観光に来て文化に親しみたい場合は、考古学常設展示をのぞいてみましょう。

こちら、ドゥブロヴニク・カードで入ることのできる施設のうちの 1 つ。
展示スペースはコンパクトで、人もあまり入っていません。

しかし、ドゥブロヴニクという街の歴史のふるさを実感できる、古代ギリシャ、古代ローマ時代からの出土品や、中世の鋳造所の炉などがそのまま展示されていて、これはこれでけっこう面白いです。
ドゥブロヴニクの伝説的鋳物師、イヴァン・ラブリャニン(かつてミンチェタ要塞に置かれた「美女」の異名をとった怪物級の大砲や、ルジャ広場の時計台の鐘と、その鐘をつく兄弟像を作った人)が、後世に残る作品を作ったのが、このレヴェリン要塞内の鋳造所だそうです。

伝説の名匠によって、ドゥブロヴニク史に残る大砲が作られた鋳造所跡…。現在は、深い大きな穴が残っているくらいではありますが、その歴史を知って眺めると、ものすごくかっこよく見えてしまいます…。


アクセス

レヴェリン要塞の場所、非常にわかりやすいです。

旧市街のプロチェ門の外門にくっついた形になっていて、城壁側の内門とと石橋でつながっているのがレヴェリン。

外門側にテラスのようになった場所があるんですが、この端にある階段のところがカルチャー・クラブ・レヴェリンの入り口。
考古学常設展示は、テラスの反対側、トンネル状の部分の壁のドアが入り口です。

オーケストラの本拠地は、内門側の建物で、練習中は、かすかにキレイな音が聞こえてきます。
ドゥブロヴニク交響楽団では、とっても素敵な日本人のヴァイオリニストも活躍されているのです❤️

ユニークな歴史と顔をもつレヴェリン要塞、ドゥブロヴニクに行ったらぜひチェックしてみてくださいね!