ドゥブロヴニク旧市街の観光スポット: ​ドゥブロヴニク大聖堂(聖母被昇天大聖堂)

ドゥブロヴニク大聖堂は、総督邸の斜め前にあり、ルジャ広場やグンドリッチ広場にもすぐにでられる、街の中心地にある大聖堂。
聖母マリアが肉体と魂を保ったまま天国へ召されたという「聖母の被昇天」を記念した大聖堂です。

ドゥブロヴニクの聖母被昇天大聖堂は、異なる建築様式がミックスした独特の建築で、主祭壇に飾られたティツィアーノの聖母被昇天図でよく知られています。
有名観光スポットですが、日曜日のミサには地元の人がたくさん出席する現役の教会でもあります。


iStock. by Getty Images ポートフォリオ:Mari_mjx
Instagram Profile:@marimjx 

大聖堂の建設と英国王、リチャード獅子心王

ドゥブロヴニク大聖堂は、古くはローマ時代に始まる長い歴史の中で、破壊、破損と建て替え、修復を繰り返して今に至ります。
その中でも特に大掛かりな建て替えが行われたのが、英国のリチャード獅子心王(リチャード I 世)の寄付によって行われたもの。

実はリチャード獅子心王、第三次十字軍遠征時、乗っていた船がドゥブロヴニク沖で難破するというアクシデントに見舞われています。

荒波に揉まれながら、リチャード獅子心王は「もし神のご加護により生き延びることができたら、最初に足を踏み入れた土地に大聖堂を建てる」と誓ったそうです。
最終的に、リチャード獅子心王が漂着したのが、ドゥブロヴニク旧市街の沖に浮かぶロクルム島。

嵐の中でたてた誓いに基づき、ドゥブロヴニクに寄付された資金は、紆余曲折をへて、ロクルム島ではなく、ドゥブロヴニク旧市街の大聖堂の建て替え資金として利用されました。

さて、この時に行われた建て替えでは、建築様式はロマネスク様式が採用されたそうです。
しかし、残念なことに、この時の姿、現存しているものとはかなり違います。
この時の建物は、1667 年のドゥブロヴニク大地震で大きな被害を受けて損壊してしまったからです。

地震の後、大聖堂を修復するにあたり、ドゥブロヴニク政府はイタリアから当時の有名建築家を呼び寄せ、その後 30 年かけて再建を行いました。
現在残るバロック様式になったのはこの時です。

収蔵品

こちらの大聖堂では、主祭壇上に掲げられたティッツィアーノの聖母被昇天図がよく知られています。
荘厳な雰囲気の美しい絵で、日曜日にミサが行われている時など、地元の皆さんの生活に根付いて信仰を集める教会であることが肌で感じられます。

また、側廊の祭壇もそれぞれに個性的なもので、様式や素材が大きく異なるのが特徴。

これら側廊の祭壇の多くは、美しい大理石で作られています。しかし、ドゥブロヴニク付近では大理石は取れないはず…。

それもそのはず、実はこれらの石、わざわざイタリアから船で運ばせたものなんだそうです。

石の模様が美しく揃うよう、大理石を細く縦に切り、組み合わせて作られた柱など、様々な技巧が凝らされた美しい祭壇は、そこに収められた絵画や彫刻にも劣らない、それだけで一見の価値のある芸術品です。

実は定説より古かった?地震後に現れたローマ時代の遺跡

1979 年、モンテネグロを中心に大規模な地震があり、ドゥブロヴニクでも建物の一部が破損する被害が発生しました。
ドゥブロヴニク大聖堂もこの地震で部分的に損傷し、修復工事が行われることになったのです。

そして、修復工事ついでに大聖堂の床下の発掘調査が行ったところ、ドゥブロヴニクの成り立ちにまつわる定説が覆されるような、重大な遺跡が出土!

なんと、大聖堂の地下に、今まで存在が確認されていなかった 6 〜 7 世紀、ローマ時代のバシリカがあったことが確認されたのです。

この発見は、この時代にすでにこの地域に相当に大規模な居住地が確立していたことをうかがわせるもの。

従来の定説では、ドゥブロヴニクができたのは 7 世紀頃と言われてきました。
それなのに、6 〜 7 世紀に、すでにこの規模のバシリカがあった…??
うーん計算が合わない!

この遺跡の出土品、引き続き調査中ですが、もしかすると、ドゥブロヴニクの歴史はこれから大きく書き換えられ、起源も数百年単位で遡る可能性があるかもしれません。

さて、この発掘された遺跡の写真、記録はこの大聖堂の一番後ろ、扉の反対側にある奥まったコーナーにひっそりと展示されています。
知らないとなんだかわからない、どころか全く気づかずに素通りするポイントなので、考古学に興味のある方は、忘れずにチェックしてみてくださいね。

このあたりは、本当に古い遺跡がそこらじゅうにゴロゴロしていて、考古学ファン、特にギリシャ時代、ローマ時代好きな方とっては、かなりワクワクが止まらないポイントです。

見学時の注意

ドゥブロヴニク大聖堂は、一応観光スポットにはなっていますが、現在も信者さんが熱心に通う普通の教会です。

当然、日曜日や祝日などはミサを行っていますので、気付かずにミサの間に入られた場合などは、そーっと静かにして、できるだけお祈りの邪魔にならないようにしてあげてください。

ミサの間は、祭壇周辺などは使われていますし、お祈りの場にズカズカ踏み込んだり、写真を撮ったりするのは避けるべきですので、「観光名所を見る」という観点ではちょっと物足りないかもしれません。

でも、「観光スポット」と思って気軽に来た先に、地元の皆さんのいつもどおりの生活があって、それを見ることができ、体感できたら、それはそれで、とても特別な経験になるのではないでしょうか。

オーバーツーリズムに悩まされ、人口が激減しつつあるドゥブロヴニクの旧市街ですが、何世代にもわたって、ずっとここに住んできた住人もまだ少しは残っています。

そんな人々が、ご先祖様が通ってきたのと同じ教会に今も通って、同じように祈りを捧げている。
そんな姿こそが、ドゥブロヴニクを、空っぽのキレイなテーマパークではなく、血の通った、素敵な街にしているんだと思うんですよね。

名称について: 正しくはドゥブロヴニク大聖堂

こちらの大聖堂、日本語ネット界隈のそこここに、なぜか「ダブルービック大聖堂」として出てくることがあります。

これ、どなたかが「Dubrovnik(ドゥブロヴニク)」を誤ってお読みになったものが定着したのではないかと推察します。

ちなみに音的には、

  • クロアチア語
    • Dubrovačka Katedrala(ドゥブロヴァチュカ・カテドララ)
  • 英語
    • Dubrovnik Cathedral(ドゥブロヴニク・カティドラル ※th の発音は日本語表記できない…)

なので、現地で「ダブルービック」と言っても通じません。

なお、「カテドラル」とベタにカタカナ発音で「大聖堂」の意だけ伝えれば、ドゥブロヴニクの人ならすぐここだとわかるので、「ドゥブロヴニク」部分はむしろ抜いちゃっても構わないくらいです。

フランシスコ会修道院の薬局といい、この出どころ不明のダブルービックといい、カタカナで外国語を正しく表記するのって難しいですねぇ。
英語やらクロアチア語やらイタリア語、ラテン語が混在する地域ではなおさらのこと。

でも、ドゥブロヴニク大聖堂は「ダブルービック」ではないのです!
…ということだけは、ここで改めて念押ししておきます😄

アクセス

ピレ門から旧市街に入り、ストラドゥン(プラツァ通り)を直進します。

オルランドの柱聖ヴラホ教会のあるルジャ広場についたら、旧総督邸の方向に右折します。
総督邸に面する通りの突き当たりにあるのがドゥブロヴニク大聖堂。

正面入り口は旧港側です。