ドゥブロヴニクといえば、クロアチアを代表する観光地で、日本では、スタジオ・ジブリの「魔女の宅急便」、そして「紅の豚」の街のモデルとなったんじゃないか…?説で知られています。
世界的に見ても、ドゥブロヴニクは、ヨーロッパを中心に、美しい海の楽しめる味のある古都、といった印象で、とかくその外見の美しさに注目が集まりがち。
しかし、実はドゥブロヴニク、知れば知るほど面白い、ユニークな歴史とエピソード盛り盛りの場所なのです!
今回の記事では、そんなドゥブロヴニクについて知っておきたいこと、Top 10 をご紹介します。
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1. ユニークすぎる歴史
現在のドゥブロヴニクは、クロアチアを代表する観光都市です。
しかし、ドゥブロヴニクが、クロアチアの一部になったのは、歴史の中でみると、比較的最近のこと。
ドゥブロヴニクはもともと、中世、1358 年から 1808 の間、ドゥブロヴニクは、共和国(ドゥブロヴニク共和国、イタリア名でラグサ共和国)という、自治権をもつ都市国家でした。
つまり、ドゥブロヴニクは、クロアチアの一部としての歴史より、独自の国としての歴史の方が長い、ということ!

さて、ここでちょっと、歴史を振り返りながら、ドゥブロヴニクの位置を見直してみましょう。
ドゥブロヴニクは、キリスト教圏のローマ帝国やオーストリア・ハンガリー帝国などと、イスラム教圏のオットーマン(オスマン・トルコ)帝国の境目にあたり、その境目が数百年というスパンで押したり、押し戻されたりする場所にありました。
周囲の小国がどんどん大国の軍門に下る中、ドゥブロヴニク共和国は、国家の存続を最優先とする政府が、貿易や造船などで築いた富や、ヨーロッパ各地に留学してコネを築いた貴族階級のコネなどを全力で使って、超絶世渡り技巧で生き残ったのです。
この辺りの詳細を知りたい方は、英国の歴史学者、Robert Harris 著の History of Dubrovnik(※英語)辺りを読んでみてください。
こちら、ドゥブロヴニク現地友人の皆さんからもお墨つきの一冊。
読み物ではなく教科書的な書籍なので、大きくて分厚くてむちゃくちゃ細かいですが、非常によい本なので、おすすめです。

それにしても、こういう本が日本の Amazon で買える日が来るとは…。
海外でがんばって探して買ってきた身としては感無量です。
ちなみに、ドゥブロヴニク共和国は大航海時代に、貿易で財をなしたのですが、列強が植民地の獲得に動く中、早々に軍隊を放棄して、中立の立場で貿易を最優先する戦略をとっています。
力で真っ向勝負しても勝ち目がないのをちゃんと受け止めて、攻撃されない方向に舵を切ったんですね。
圧倒的な軍事力を有さない国家の存続には、目先の利益の追求よりも、長期的視点が大事なのがよくわかる例ではないかと思います。
そして、そんなドゥブロヴニクの姿勢をよく表しているのがこちらのモットー。
NON BENE PRO TOTO LIBERTAS VENDITUR AURO
これは「(この世の黄金すべてを持っても自由を売り渡すことはない、という意味のラテン語)」という意味。
自由を何よりも大事なものとして独立を守り抜いたドゥブロヴニクらしいこちら、当時の最重要防衛拠点の一つ、ロヴリェナツ要塞の入り口に刻まれているのを、今でも見ることができます。

「自分はドゥブロヴニク共和国の末裔だ」って誇りがある人間は、歴史を学んで、知識、教養、それにしたたかさを身につけるのは必須事項だと僕は思うね
なお、ドゥブロヴニクは 1667 年にこの地を襲った大地震により壊滅的な被害を受け、国を根底からひっくり返すような莫大な経済的、人的損失を喫して国力が低下。
その後、最終的に滅亡するまで、最盛期の繁栄を取り戻すことはありませんでした。

2. セレブリティ・マグネット
ドゥブロヴニクといえば、日本で知られているのは、スタジオ・ジブリの「魔女の宅急便」そして「紅の豚」の街を彷彿とさせる、旧市街のビジュアル。
しかし、じゃあ実際どんな場所で、どういう層に人気があって、どんな旅行デスティネーションなのかということになると、あまりイメージがわかない人も多いのではないでしょうか?
そんなドゥブロヴニク、ヨーロッパでは非常に長い歴史のある、「高級な海辺の避暑地」的な位置づけのデスティネーション。
ヨットやクルーザーなどで、イタリア、クロアチア、ギリシャ辺りをめぐるセレブリティの皆さんにも人気があって、優雅に船でやってくる人も多いです。
船で来る人のうち、超有名所の例をあげると、マイクロソフトのビル・ゲイツや、プレミアリーグ、チェルシーのオーナーのロマン・アブラモヴィッチなど。
アブラモヴィッチさんに至っては、この辺がお気に入りなのか、ドゥブロヴニクの近くにあるツァヴタット沖に毎年、時には 1 年に何回か、巨大ヨット、エクリプス号やってきてしばらく滞在しています。
まあそれはちょっと極端な例ですが、王侯貴族から俳優、スポーツ選手、歌手やパフォーマーなど、目撃談をあげたらきりがないほど。
そのため、セレブリティがよってくる街、というころで「セレブリティ・マグネット」などと呼ばれたりもします。
ちなみに、地元の人は、セレブリティを見かけても反応しないのが暗黙のルールらしいです。

さすが俺の街、人気あるわ〜(※本人には話かけないけど鼻高々)

ちょっと話しかけたいけど…、バケーションに来て、楽しんでる人を邪魔するのはよくないよね

内心めっちゃあがったけど、そんな素振りは一切見せないでクールに接したら、なんか気に入られてディナーに誘われた

美人ってすごい

セレブリティだろうがなんだろうが関係ないよ
3. 文豪も大絶賛
ドゥブロヴニクは、「アドリア海の真珠」というニックネームで知られています。
これは、主に石灰石で作られた、ドゥブロヴニク旧市街を囲む城壁がアドリア海の青に映える美しい姿を表現したもの。
シーカヤックツアーやクルージングツアーに参加して、海からドゥブロヴニク旧市街を眺めると、この言葉、心から納得できます。
本当にきれい。
この眺めと街の性格に心を奪われた人の中に、「マイ・フェア・レディ」の作者として有名な文学者、バーナード・ショーがいます。
彼はドゥブロヴニクをいたく気に入り、「この世の天国」と大絶賛しています。
「Those who seek paradise on Earth should come to Dubrovnik. (地上で天国を追い求める者は、ドゥブロヴニクを訪れるべきだ)」という言葉を残しているところからも、どれだけドゥブロヴニクを気に入ったか、よくわかりますよね。
4. 噴水の水がそのまま飲める

ドゥブロヴニク旧市街の内外には、ピレ門のすぐ側にあるオノフリオの噴水を始め、10 を超える噴水があります。
そして、噴水といっても、ドゥブロヴニクの噴水は、通常イメージするような、水を吹き上げる彫刻の周囲に水をたたえたようなものではなく、ドーム型の建物に取り付けられた複数の蛇口から水がかけ流しになった水飲み場。
「噴水」が「Fountain」の訳語なのですが、これは「水が流れ続けるところ」といった意味なので、本来は実物が何かによって、泉だったり、湧き水だったり、噴水だったりに訳が変わってくるわけです。
まあ、街の観光スポットの一つが「オノフリオの水飲み場」ではあまりに格好がつかないので、これに関しては名訳といえば名訳ですね😁
さて、これらの水飲み場は、もともとは中世に作られたものがほとんど。
真水の供給をいくつかの井戸と雨水に頼っていたドゥブロヴニク共和国にとって、水資源の確保は国の死活問題の一つでした。
そのため、政府がイタリアから専門家を招き、石造りの水道を建造し、山間の湧き水を市内、および周辺の要所に引いてきた際に、これらの水飲み場が設けられたのです。
建造当時はミネラルウォーターかけ流しでしたが、1900 年代後半のクロアチア独立戦争による破損を修復する際、水道管を引き込んで、今では水道水かけ流しに変更されています。
真水の資源量が EU 加盟国中第 1 位のクロアチアだからできる贅沢な水道使用。
日本だったら水道料金が気になって、かけ流しはなかなかできませんよね。
なお、クロアチアの水道水は原則として飲用できるので、ここで水をくんだり、そのまま飲んだりしても大丈夫です。
ただ、大雨の後などは水質が落ちるので、そういう時は飲まないようにしましょう。
5. 奴隷制廃止の先駆者
大航海時代の海上貿易では、塩、ガラス、織物などだけが商材とされていたわけではありません。
当時、非常に実入りの多い、おいしい貿易とみなされていたのが、奴隷貿易です。
15 世紀から 18 世紀ごろにかけて、なんと 1000 万人を超す人々が、まるで物のように取引されたそうです。
ちなみに、あまり知られていませんが、日本人も、ポルトガル商人によって奴隷として売り買いされていたので、これは私達にとっても他人事ではないのです。
大航海時代という、ロマンあふれる華々しい冒険の時代の、このうえなく醜い影の部分ですね。
さて、その奴隷貿易が莫大な富を生むものとして注目され、どんどん拡大しはじめた 15 世紀初頭。
自由を何よりも大事なものとして最優先していたドゥブロヴニク共和国は、他国に先駆けて、1416 年 1 月 27 日、奴隷制の廃止と、奴隷貿易との決別を宣言します。
これは世界最初ではないものの、世界に先駆けて人権思想が発達を遂げたヨーロッパにおいても、かなり早期の奴隷制廃止の一例と考えられています。
6. ジェームズ・ボンドのモデルとなった実在のスパイはドゥブロヴニク育ち

ジェームズ・ボンドといえば、言わずと知れた、イアン・フレミングの大人気シリーズ、「007」の主人公。
世界を股にかけて大活躍するダンディなスパイです。
このジェームズ・ボンド、多くの部分は、自身が MI5 の工作員だった作者のイアン・フレミングの経験を元に書かれたそうですが、作者自身以外にも、複数、モデルとなった実在の人物が存在します。
そしてその中でも、作者が「モデルにした」とはっきり公言しているのが、ドゥシャン・ポポヴ。
ポポヴは 1912 年、オーストリア・ハンガリー帝国の一部だったティテル(現セルビア)で生まれ、ドゥブロヴニクで育った、ユーゴスラヴィア王国、ドイツ、イギリスの三重スパイです。
ユーゴスラヴィアでは「ドゥシュコ」、イギリスでは「トライスィクル(三輪車)」、ドイツでは「イヴァン」というコードネームで知られ、表向きは貿易商として各地を渡り歩きました。
ポポヴは様々な功績をあげ、のちに英王室から叙勲もされていますが、特に有名なのが、かのノルマンディー上陸作戦にまつわる活躍。
ダブルエージェントとして、連合軍の上陸地点はノルマンディーではなく、カレーであるという偽情報をドイツ軍に流したのが彼なのです。
このポポヴの活躍は、ドイツ軍に混乱をもたらし、連合軍の歴史的勝利に寄与したのでした。
ところで、ジェームズ・ボンド・シリーズには、やはり、ボンド・ガールズの存在も欠かせないですよね?
実際、モデルとなったポポヴは稀代のプレイボーイだったそうで、まさにボンドのように、女優やモデルと浮名を流したり、カジノで豪遊したりしていたみたいです。
実は、原作者、イアン・フレミングのMI5 時代の任務というのが、この三重スパイ、ポポヴの監視だったんだそうです。
つまり、007 シリーズの作者自身、ポポヴのこういった豪遊っぷりを実際に目にしていたということなんです。

ちなみに、「007」というコードネームも、ポポヴ関連。
ポポヴがアドバイスを求めてよく電話していた、セルビアのベオグラード在住の叔父、ミリヴォイ・ポポヴの電話番号、26-007 から取ったものだそうです。
ちなみに、ポポヴには兄と弟がいるのですが、兄、イヴォも二重スパイ。

おもしろい!もっと知りたい!!と思った方は、実在のスパイのノンフィクション作品を沢山書いている Larry Loftis の Into the Lion’s Mouth: The True Story of Dusko Popov: World War II Spy, Patriot, and the Real-Life Inspiration for James Bond (※英語)を読んでみてください。

そしてこれも Amazon にありました〜!!
Kindle で買えちゃうよ…すごい世の中すぎる…😳
7. 悲しい歴史も… ドゥブロヴニク包囲戦
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国からのクロアチアが離脱を宣言し、始まったクロアチア独立戦争。
クロアチアの独立を認めないユーゴスラヴィア連邦軍との間で、血で血を洗う悲惨な戦いが繰り広げられました。
そんな中で、ドゥブロヴニク旧市街は世界遺産だったため、攻撃対象から除外するという宣言がだされていました。
そのため、旧市街には、戦火を逃れて難民化した子供、女性、老人、けが人など、多くの非戦闘員が周辺地域から非難し、シェルターのようになっていたのです。
しかしこの宣言は突然一方的に破棄され、1991 年 10 月、セルビアとモンテネグロ合同軍がドゥブロヴニク旧市街への攻撃を開始。ドゥブロヴニクはその後 7 ヶ月に渡る包囲戦を強いられることとなります。
攻撃されない約束になっていたため、攻撃が開始された当時のドゥブロヴニクには軍隊が存在せず、いたのは警察くらい。
援軍がやってくるまで、警察と、少年から老人まで、戦闘に参加できる民間人が武器になるものをかき集めてつくった自衛団が街の防衛にあたるしかありませんでした。
この包囲戦では、100 名を超える民間人と、200 名近い軍関係者が犠牲となり、旧市街には 650 発もの砲弾が撃ち込まれ、建物の 56% に何らかの損害が発生するという、甚大な被害をだす果となりました。
包囲が解除されてからも、周辺地域の混乱と断続的な攻撃は数年にわたって続き、地元ドゥブロヴニクとコナヴレの皆さんは本当に苦労されたようです。
約 30 年が経過した今、華やかな観光都市として目覚ましい復興を遂げたドゥブロヴニク。
一見すると当時の面影はほとんど残っていないように見えることでしょう。しかし、ちょっと気をつけて見てみると、戦争の爪痕はあちこちに深く刻まれています。
旧市街には、砲弾の後の残る建物もまだまだたくさんありますし、外見上問題ないように見える建物も、資金の都合などで、内部が崩壊していて修繕が進んでいないものなども残っています。
バスで数分 〜 数十分で行けるヴィクトリヤやクパリなどでは、戦争で被弾したまま打ち捨てられ、廃墟となっているホテルなども見ることができます。
地元で戦争を経験した人々。話を聞くと、記憶は今もしっかりと心に刻まれていて、癒えてはいても消せない傷として残っていることがよくわかります。
戦争は直接経験していないものの、祖父母から東京大空襲の話などを聞いて育っている身としては、とても他人事とは思えません。
そして、こういった痛ましい歴史も、間違いなく、現在のドゥブロヴニクを形づくる一つの大事な要素。
ご興味のある方はぜひ、旧市街ならスポンザ宮殿、時間があってスルジ山に登るなら、山頂のインペリアル要塞にある戦争博物館に行ってみてくださいね。
8. ドゥブロヴニク発着日帰りツアー
ドゥブロヴニクは、それ自体で立派に観光が成り立つデスティネーションですが、ここを拠点として日帰りできる観光スポットが充実しているのも魅力の一つ。
人気の日帰り旅行先としては次のようなところがあげられます。
- エラフィティ諸島
- アイランドホッピングクルーズがドゥブロヴニクから出ています
- ロクルム島
- 旧市街の目の前の小さな島。自然保護区で、遺跡もあります
- コルチュラ島
- マルコ・ポーロの出身地説もある美しい島
- 高級白ワイン、ポシップなどのワイン産地として有名
- かわいい旧市街もあります
- ムリェト島
- 島の一部が国立公園でめちゃくちゃキレイ
- 島の中に湖があり、その湖の中に島がある!
- コナヴレとツァヴタット
- 路線バスで気軽に行ける
- 静かな旧市街のあるツァヴタットはヨーロッパ旅行ランキング Top 10 に入った、人気のあるバケーションスポット
- ペリェシャツ半島
- クロアチアを代表する赤ワイン、プラヴァッツ・マリ産地
- コルチュラと合わせて行くワインツアーが大人気
- 日本のテレビでも時々取り上げられる海底熟成ワインがあるのもここ!
- ストンとマリストン
- ペリェシャツ半島の入り口にある街
- めちゃくちゃかっこいい城壁がある
- 牡蠣、ムール貝、天然塩などを産するグルメ天国
- モスタル(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)
- オットーマン帝国時代のイスラムの影響が残る、おとぎ話の街のような独特の雰囲気の旧市街(世界遺産)
- スタリ・モストというとても美しい橋がある
- 川面から 25 m(普通のビルの 8 階くらい、オリンピック高飛び込みの 3 倍弱)くらいあるスタリ・モストから川にダイブする高飛び込みの伝統あり
- コトルとブドヴァ(モンテネグロ)
- 世界遺産となっている旧市街(コトル)
- コトル湾という、とても美しい湾に面している
- 山の中までのびるコトルの城壁からの眺めがすごい
パッと思いつきで書き出してみてもこれだけあるくらいなので、よく探すと、もう引っ越さないと遊び尽くせないくらい、遊ぶところだらけなのです。


9. ロケ地としても大人気!
風光明媚で、中世の街並と美しい自然が共存するドゥブロヴニクは、映像作品のロケ地としても大人気。
特に、アメリカ、HBO の大人気 TV シリーズ、Game of Thrones (※ Amazon の検索結果がひらくはず。Prime 会員さんは Prime ビデオで見られます😁)のロケ地として有名で、世界中から熱烈なファンが訪れています。
しかしそれだけではありません。
比較的最近のものとしては、「Star Wars: Episode 8」や、アメリカの TV シリーズ「KnightFall」、タロン・エジャトン主演の「ロビン・フッド」。
そして面白いところだとインドのボリウッド映画の撮影なども行われていました。
スター・ウォーズの撮影時には、街に溶け込むような形でセットが作り込まれており、昼間は多くの店がそのまま通常営業していました。
この時期に初めて観光に来た方は、もしかしたら、いくつかのセットについては、セットだということも気付かないくらいだったかもしれません。
よくできていて、色や質感も驚くほど元の建築に似せてつくってありました。

さて、こういった作品のなかでも、Game of Thrones の宣伝効果は群を抜いて凄まじかったようです。
作中の王都である King’s Landing(キングス・ランディング)はドゥブロヴニクの街並をかなり忠実に利用して作られているため、特にアメリカから来る観光客は「ドゥブロヴニクに来た」というより、「King’s Landing に来た」という感慨を持つ人も多い様子。
これは、日本人がドゥブロヴニクに来て、「魔女の宅急便 / 紅の豚のあの街」と思うのと同じような感覚なんでしょうね。

友人のところは Game of Thrones コスプレツアーなど、すごく楽しめる内容なのでおすすめです!
地元の人にとっては、宣伝になって嬉しいけれど、せっかくなら、ドゥブロヴニク自体の良さにも目を向けてもらえたらもっと嬉しい…という気持ちもあるようです。
「人それぞれだから、いいけどね」と大体皆さんおっしゃいますが、「ドゥブロヴニク自体に興味がある」と伝えると、それはそれで非常に嬉しいもよう。
本当に、掘れば掘るほど面白い物が出てくる街なので、皆さんもぜひ、ドゥブロヴニクの面白いところを探してみてくださいね!!