ドゥブロヴニクについて知っておきたいこと: Top 10

ドゥブロヴニクについて知っておきたいこと: Top 10

クロアチアのドゥブロヴニクといえば、日本ではなんといってもスタジオ・ジブリの「魔女の宅急便」、そして「紅の豚」の街のモデルとなった(と言われている)ことで知られています。

ヨーロッパ古都の味わい深い街並、歴史、文化、圧倒されるほど美しい自然、それにグルメまで一気に堪能できるドゥブロヴニクは、短期の旅行にも長期滞在にもぴったり。

今回の記事では、そんなドゥブロヴニクについて知っておきたいこと、Top 10 をご紹介します。


Index

  1. ドゥブロヴニク = かつては独立国家!
  2. 世界の VIP に愛されるデスティネーション
  3. 「アドリア海の真珠」「この世の天国」
  4. ドゥブロヴニクの城壁、年間入場者数はなんと 10 万人!
  5. 噴水から流れるのは…天然ミネラルウォーター!
  6. ドゥブロヴニクは奴隷制廃止の先駆者
  7. ジェームズ・ボンドのモデルはドゥブロヴニク出身!
  8. 戦争の爪痕
  9. 充実の現地発・日帰りツアー
  10. ロケ地としても大人気!

iStock. by Getty Images ポートフォリオ: marimjx
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1. ドゥブロヴニク = かつては独立国家!

現在のドゥブロヴニクは、クロアチアを代表する観光都市。

しかし、ずっとクロアチアの一部だったわけではありません。クロアチアの一部となったのは、実は比較的最近のこと。中世、1358 年から 1808 の間、ドゥブロヴニクは、共和国(ドゥブロヴニク共和国、イタリア名でラグサ共和国)という独立国家として、自治を行っていました。

アドリア海貿易において絶好の場所に位置していたドゥブロヴニクは、古代ギリシャの都市国家、ローマ帝国、スラヴ人、オスマン帝国、ヴェネツィア共和国、オーストリア帝国など、近隣の列強からの侵略の脅威にさらされ続けてきました。

そんななか、小規模な都市国家ながら、「Non bene pro toto libertas venditur auro(この世の黄金すべてを持っても自由を売り渡すことはない、という意味のラテン語)」というモットーを掲げ、自由を何よりも大事なものとして独立を守り抜いたドゥブロヴニク。

軍事力では全く歯の立たない強国を相手に一歩も引かずに渡り合い、抜け目なく繁栄していく小国。もうこれだけでも、ロマンのかたまりではないですか!

今でも、ドゥブロヴニクは、クロアチアの他の地域の文化、風習、方言、そして人柄などの面でも趣を異にしています。ローカル住民の皆さんにも強烈な地元愛を持つ人が多く、文化や歴史を語らせると止まらなくなることが多いです。
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2. 世界の VIP に愛されるデスティネーション

ドゥブロヴニクといえば、日本ではスタジオ・ジブリの「魔女の宅急便」そして「紅の豚」の街のモデルとなったことでは知られていますが、それ以外ではあまり「ピンとこない」という方が多いのではないでしょうか。「アドリア海の真珠」というニックネームも「聞いたことがある」という方もいるかもしれませんね。観光情報も、中世の街並の残る美しい旧市街と城壁がメインとなっていることが多い印象です。

しかし、ヨーロッパではドゥブロヴニクというと、実は「夏のリゾート地」として有名な場所。王侯貴族から俳優、スポーツ選手など、セレブの目撃談にも事欠きません。

海運で栄えた歴史を持つドゥブロヴニクとその周辺には、大型のクルーズ船から、小・中規模のヨットやクルーザーまで寄港できる港が整備されており、訪れる観光客の多くが、実は、大型クルーズ船のお客さん。特に 6 月後半から 9 月前半のハイシーズンには、多い日にはなんと 7,000 〜 10,000 人ものクルーズ客が旧市街につめかけます。

また、個人所有のヨットやクルーザーでアドリア海をめぐる旅でも、ドゥブロヴニクは人気の寄港先。そういった形でドゥブロヴニクを訪れるセレブも非常に多いです。

なお、今年(2016 年)に入ってからの目撃談だけでも、U2、2Cellos、モニカ・ベルッチ、マンU のアンデル・エレーラ、チェルシーのオーナーであるロマン・アブラモヴィッチなど、あげるとキリがないほどです。
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3. 「アドリア海の真珠」「この世の天国」

ドゥブロヴニクは、「アドリア海の真珠」というニックネームで知られています。これは、主に石灰石で作られた、ドゥブロヴニク旧市街を囲む城壁がアドリア海の青に映える美しい姿を表現したもの。

シーカヤックツアーやクルージングツアーに参加して、海からドゥブロヴニク旧市街を眺めると、この言葉、心から納得できます。本当にきれい。

なお、「この世の天国」というのは、「マイ・フェア・レディ」で有名なバーナード・ショーの言葉。「Those who seek paradise on Earth should come to Dubrovnik. (地上で天国を追い求める者はドゥブロヴニクを訪れるべきだ)」というのがオリジナルだそうです。
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4. ドゥブロヴニクの城壁、年間入場者数はなんと 10 万人!

ドゥブロヴニク旧市街をぐるっと取り囲むドゥブロヴニクの城壁。ドゥブロヴニクを象徴するこの威風堂々たる城壁は、全長 198 m、最も高い地点はなんと 25m!

そしてこの城壁、ただの壁ではありません。複数の要塞や武器庫、詰所、鋳造所までをも擁する、中世ヨーロッパにおける最先端の防衛システムなのです。

この城壁は上をぐるっと歩いて回ることができ、一周には約 1 時間ほどかかります。入場料は 2017 年の時点で 150 クーナ。年々入場料が値上がりしていますが、ドゥブロヴニク・カードを使ったり、徒歩ツアーに参加したりすることで、お得に城壁ウォークを体験することも可能です。

この城壁の年間の入場者数は、なんと 10 万人にも及びます。これだけの人数が絶え間なく通行するため、磨耗も激しく、かなりツルツルになっているところもあります。そのため、シーズンオフになると毎年のように修繕をしたり、表面を手作業で削り取って凹凸をつけたり、大事にメンテナンスされています。

さて、この城壁を始め、ドゥブロヴニク共和国時代の遺産の管理や運営の多くは、有志によって結成される市民団体、「ドゥブロヴニク・アンティークの友」というソサエティが担当しています。

これはドゥブロヴニク旧市街のみならず、ストンの城壁なども含め、戦禍や政情の変化などで放置されたり、荒らされたり、破壊されたりした共和国の遺産の復興に力を尽くしている団体。この人々の力なくして、ドゥブロヴニクが現在のような姿を取り戻すことはできなかったのではないでしょうか。

城壁の入場料、クロアチアの物価を考えると高く感じられるかもしれませんが、この入場料は「ドゥブロヴニク・アンティークの友」の主な収入源の一つ。これがドゥブロヴニクの復興と維持に役立てられていると思えば、とても価値のある投資のように思えます。
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5. 噴水から流れるのは…天然ミネラルウォーター!

ドゥブロヴニク旧市街の内外には、ピレ門のすぐ側にあるオノフリオの大噴水を始め、十数基にもおよぶ噴水があります。

噴水といっても、ドゥブロヴニクの噴水は、通常イメージするような、水を吹き上げる彫刻の周囲に水をたたえたようなものではありません。噴水というよりは「彫刻で装飾された蛇口」に近いものが多いのです。

これには深い理由があります。

水源がなく、主に雨水に頼っていたドゥブロヴニク共和国。良質な水資源の確保は、非常に大きな命題となっていました。一計を案じた政府は、イタリアから専門家を招き、中世ヨーロッパ最先端の水道設備を導入することにします。石造りの水道を建造し、山間の湧き水を市内、および周辺の要所に引いてくることにしたのです。

市内外に見られる噴水の数々は、その水道建築の結果できたもの。ドゥブロヴニクは現在のように、常にナチュラル・ミネラル・ウォーターがあちこちでかけ流されるようになった、というわけです。

この当時作られた水道ですが、今の技術から見ても驚異的なレベルの出来栄え。もちろん修繕や補修などは行われていますが、現在も基本的にそのまま使用されています。

水質はこまめにチェックされており、飲用に適することが確認されているので、ウォーターボトル、または空いたペットボトルがあれば、ドゥブロヴニク市内では飲み水に困る事はありません。

水道水どころか、噴水で水を汲んでそのまま飲む、というのは、世界中みても、なかなかできない体験。地元の人には当たり前の事ですが、なんだか「旅に来た〜」ということが実感でき、一種独特の満足感があじわえること間違いなしです。
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6. ドゥブロヴニクは奴隷制廃止の先駆者

中世の海上貿易では、塩、ガラス、織物などの商材に並び、奴隷貿易も非常に広く行われていました。

15 世紀から 18 世紀ごろにかけて、なんと 1000 万人を超す人々が、まるで物のように取引されたのです(あまり知られていませんが、日本人も、ポルトガル商人によって奴隷として売り買いされていたそうです)。華々しい歴史の悲しい影の部分ですね。

さて、まさに奴隷貿易が莫大な富の源として注目され、規模が拡大していこうとしていた 15 世紀初頭。自由を何よりも大事なものとして最優先していたドゥブロヴニク共和国は、1416 年 1 月 27 日、奴隷制の廃止と、奴隷貿易との決別を宣言します。

これは世界最初ではないものの、世界に先駆けて人権思想が発達を遂げたヨーロッパにおいても、かなり早期の奴隷制廃止の一例と考えられています。
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Dušan “Duško” Popov – Image via Wikipedia

7. ジェームズ・ボンドのモデルはドゥブロヴニク出身!

ジェームズ・ボンドといえば、言わずと知れたイアン・フレミングの大人気シリーズ、「007」の主人公。世界を股にかけて大活躍するダンディなスパイです。

このジェームズ・ボンド、多くの部分は、自身が MI5 の工作員だった作者のイアン・フレミングの経験を元に書かれたそうですが、作者自身以外にも、複数、モデルとなった実在の人物が存在します。そしてその中でも、作者が「モデルにした」とはっきり公言しているのが、ドゥシャン・ポポヴ。

ポポヴは 1912 年、オーストリア・ハンガリー帝国の一部だったティテル(現セルビア)で生まれ、ドゥブロヴニクで育った、ユーゴスラヴィア王国、ドイツ、イギリスの三重スパイです。

ユーゴスラヴィアでは「ドゥシュコ」、イギリスでは「トライスィクル(三輪車)」、ドイツでは「イヴァン」というコードネームで知られ、表向きは貿易商として各地を渡り歩きました。

ポポヴは様々な功績をあげ、のちに英王室から叙勲もされていますが、特に有名なのが、かのノルマンディー上陸作戦にまつわる活躍。ダブルエージェントとして、連合軍の上陸地点はノルマンディーではなく、カレーであるという偽情報をドイツ軍に流したのが彼なのです。このポポヴの活躍は、ドイツ軍に混乱をもたらし、連合軍の歴史的勝利に寄与したのでした。

さて、ジェームズ・ボンド・シリーズには、やはり、ボンド・ガールズの存在も欠かせないですよね?

実際、モデルとなったポポヴは稀代のプレイボーイだったそうで、まさにボンドのように、女優やモデルと浮名を流したり、カジノで豪遊したりしていたのだとか。

実は、原作者、イアン・フレミングのMI5 時代の任務というのが、この三重スパイ、ポポヴの監視だったんだそうです。つまり、007 シリーズの作者自身、ポポヴのこういった豪遊っぷりを実際に目にしていたということなんです。それは、ボンドさんもああなるわけですね。

ちなみに、「007」というコードネームも、ポポヴがいつもアドバイスを求めて電話をしていた、セルビアのベオグラード在住の叔父、ミリヴォイ・ポポヴの電話番号、26-007 から取られたものだそうです。ちなみに、ポポヴには兄と弟がいるのですが、兄、イヴォも二重スパイ。なんとも、すごい家庭です。
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8. 戦争の爪痕

ドゥブロヴニクは、アドリア海の海上貿易、そして海戦において、戦略的に非常に好ましい場所に位置しています。また、キリスト教圏とイスラム教圏との境界線に近く、そのせめぎ合いによる影響を直接的に受ける場所でもあり、2 つの世界の間で、長期にわたって独立を維持してきた歴史を持っています。

450 年にわたって自治を続けてきたドゥブロヴニク共和国が滅亡した後、わずか 100 年の間に、ドゥブロヴニクの統治権はフランス帝国、オーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルグ帝国)とめまぐるしい変遷をたどります。第一次世界大戦でハプスブルグ帝国が滅亡すると「スロベニア人・クロアチア人・セルビア人国」、のちのユーゴスラヴィア王国の一部となりましたが、この新しい国は安定することなく、バルカン半島は、血で血を洗う民族闘争の道に進んでいくこととなりました。

この辺りの出来事は非常に複雑なので、ここでの言及は避けておきます。興味のある方はぜひ、こちらのページの年表をごらんください。

途中の流れは割愛し、時は流れて 1991 年 10 月。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国からの独立戦争のさなか、クロアチアの独立を認めないユーゴスラヴィア連邦軍はドゥブロヴニクへの攻撃を開始。ドゥブロヴニクはその後 7 ヶ月に渡る包囲戦を強いられます。

この包囲戦では、100 名を超える民間人、軍関係者に至っては 200 名近い犠牲者をだし、旧市街も 650 発もの砲弾により建物の 56% に何らかの損害が発生するという、甚大な被害を被る結果となりました。


ドゥブロヴニク大聖堂の入口横の聖ヴラホ像。よく見ると、像の横の壁面に弾痕があるのがわかる

ドゥブロヴニク包囲戦の開戦当初、戦況が悪化したとしても、世界遺産であるドゥブロヴニク旧市街は攻撃対象から除外する、という宣言がだされていました。そのため、旧市街には、周辺地域から子供や女性、老人、けが人など、非戦闘員が避難してきていたそうです。

しかしこれは守られることなく、結局、ドゥブロヴニクはクロアチア独立戦争の中でも特に被害の大きい激戦地の一つとなりました。

軍備や交戦体制も整っておらず、逃げるに逃げられない状況で、街の人は砲弾の脅威に怯えながら耐えなくてはなりませんでした。包囲が解除されてからも、周辺地域の混乱と断続的な攻撃は数年にわたって続き、地元の皆さんは本当に苦労されたようです。

約 25 年が経過した今、華やかな観光都市として目覚ましい復興を遂げたドゥブロヴニク。一見すると当時の面影はほとんど残っていないように見えることでしょう。しかし、ちょっと気をつけて見てみると、戦争の爪痕はあちこちに深く刻まれています。


ドゥブロヴニク大聖堂の側面。この写真だと壁面のシミのように見えるが、この壁にもかなりの数の射撃痕が残っている

旧市街には、砲弾の後の残る建物もまだまだたくさんありますし、外見上問題ないように見える建物も、資金の都合などで、内部が崩壊していて修繕が進んでいないものなども残っています。バスで数分 〜 数十分で行けるヴィクトリヤクパリなどでは、戦争で被弾したまま打ち捨てられ、廃墟となっているホテルなども見ることができます。

地元で戦争を経験した人々。話を聞くと、記憶は今もしっかりと心に刻まれていて、癒えてはいても消せない傷として残っていることがよくわかります。戦争は直接経験していないものの、祖父母から東京大空襲の話などを聞いて育っている身としては、とても他人事とは思えません。

こういった痛ましい歴史も、間違いなく、現在のドゥブロヴニクを形づくる一つの大事な要素。ご興味のある方はぜひ、旧市街ならスポンザ宮殿の展示、お時間があれば、スルジ山に登ったついでに山頂のインペリアル要塞にある戦争博物館に行ってみてください。
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お隣の国、モンテネグロのコトル

9. 充実の現地発・日帰りツアー

ドゥブロヴニクは、それ自体で立派に歴史、文化、スポーツにグルメとオールマイティな観光が成り立つデスティネーションですが、周辺に目を向けると、ドゥブロヴニクを拠点として日帰りできる観光スポットが充実していることも嬉しいところ。


コルチュラ島の朝焼け

エラフィティ諸島: Elaphiti Islandsでのアイランド・ホッピング。フェリーで 15 分しかかからない自然保護区、数々の伝説に彩られたロクルム島。マルコ・ポーロ出生の地とも言われ、美しい旧市街と高品質のワインで知られるコルチュラ島。そしてコルチュラ島のすぐ近くにある美しい国立公園、ムリェト島。

東に行けば、バスやフェリーで 45 分程度しかかからない、歴史ある小さな街、ツァヴタットと、ハイキングやトレッキング、ワイナリー巡りなども楽しめるコナヴレ山地。

反対の西側にも、1 時間弱、路線バス行ける場所として、素晴らしい城壁があり、ヨーロッパの食通の間ではよく知られた牡蠣ワインの産地でもあるストン。このストンから、反対側のコルチュラ島まで細長く続く、風光明媚で自然豊かなペリエシャツ半島。


モンテネグロのブドヴァ

さらに、国境を超えてモンテネグロのコトルやブドヴァ、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルなども、十分に日帰りが可能な距離です。

日本からの団体旅行だと、ザグレブ → プリトヴィチェ → ザダル → スプリト → ドゥブロヴニク といったルートで忙しく動き回ることが多いかと思いますが、個人旅行をするのであれば、ドゥブロヴニクをベースに周辺地域を動き回るのもおすすめ。特に、2 回目以降の、気に入った場所をじっくり掘り下げるタイプの旅行には、ドゥブロヴニクは非常に適した場所だといえるでしょう。
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10. ロケ地としても大人気!

風光明媚で、中世の街並と美しい自然が共存するドゥブロヴニクは、映像作品のロケ地としても大人気。特に、アメリカ、HBO の大人気 TV シリーズ、Game of Thrones (※ Amazon のリンクが開きます。ちょっと残酷シーンが多いのですが、面白いです。TV シリーズより原作の方が面白いですが、日本語訳は微妙)のロケ地として有名で、世界中から熱烈なファンが訪れています。

2016 年だけでも、Game of Thrones はもちろん、「Star Wars: Episode VIII」や、現在作成中の十字軍をテーマにしたアメリカの TV シリーズ「KnightFall」、そしてなんとインドのボリウッド映画の撮影なども行われていました。

スター・ウォーズの撮影時には、街に溶け込むような形でセットが作り込まれており、昼間は多くの店がそのまま通常営業していました。この時期に初めて観光に来た方は、もしかしたら、いくつかのセットについては、セットだということも気付かないくらいだったかもしれません。よくできていて、色や質感も驚くほど元の建築に似せてつくってありました。

さて、こういった作品のなかでも、Game of Thrones の宣伝効果は群を抜いて凄まじかったようです。作中の王都である King’s Landing(キングス・ランディング)はドゥブロヴニクの街並をかなり忠実に利用して作られているため、特にアメリカから来る観光客は「ドゥブロヴニクに来た」というより、「King’s Landing に来た」という感慨を持つ人も多い様子。

これは、日本人がドゥブロヴニクに来て、「魔女の宅急便 / 紅の豚のあの街」と思うのと同じような感覚なんでしょうね。

地元の人にとっては、宣伝になって嬉しいけれど、せっかくなら、ドゥブロヴニク自体の良さにも目を向けてもらえたらもっと嬉しい…という気持ちもあるようです。「人それぞれだから、いいけどね」と大体皆さんおっしゃいますが、「ドゥブロヴニク自体に興味がある」と伝えると、それはそれで非常に嬉しいようです。


Game of Thrones のロケ地の一つ。Sansa Stark が Red Keep から脱出するシーンが撮影されました。

ちなみに、魔女の宅急便のコスプレをした日本人観光客、時々見られます。これも「なんだろう」とは思うようですが(※魔女の宅急便、現地での認知度はほぼありません。世界では、一部の特殊な地域、層を除き、日本で言われているほど日本のアニメ作品は知られていないと思います)、観光客慣れした人々なので、基本的には「そういう趣味なんだろう」ということで流しているようです。

言ってみれば、日本の神社に外国の方がナルトやキティちゃんのコスプレで現れるようなものなので、やってらっしゃる方は勇気があるなーと。

地元の人は、戦争の惨禍から 20 年もかけて、自分のアイデンティティの根幹にあるドゥブロヴニク共和国時代をできるだけ保存する形でコツコツと街の復興を続けています。したがって、この街に対して、強烈な愛着と敬意を持っていることが多いので、コスプレをして写真を撮って楽しんだら、そこで終わらず、ぜひ、この街そのもの、リアルなドゥブロヴニクにも目を向けて、いいところ、素敵なところをたくさん見つけていってくださいね!
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