聖ヴラホはドゥブロヴニクの守護聖人。
ドゥブロヴニクの城壁、門の上、主要な建物の壁など、市内のあちこちに、左手(※まれに右手のものも)にドゥブロヴニクの模型を抱えた聖ヴラホ像が刻まれています。
この守護聖人を祀った教会が聖ヴラホ教会。
ストラドゥン(プラツァ通り)の端、ルジャ広場で、今もドゥブロヴニク旧市街を見守り続けています。
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聖ヴラホとは
聖ヴラホ(=聖ブラシウス)は、今のトルコ(当時はアルメニア王国)出身の医師で、のちに司教となった人物。
怪我や病気を治す不思議な力を持っており、多くの人々や動物を癒し、救ったそうですが、のちに迫害の対象となって拷問を受け、非業の最期を迎えた殉教者です。
伝説によると、人や家畜のみならず、野生の動物もが、助けをもとめて聖ヴラホにすがったそうです。
そして、治してもらったお礼に、様々な形で聖ヴラホの手伝いをしたのだとか。
そのため、聖ヴラホは家畜を始めとする動物の守護聖人ともされています。
この聖ヴラホ、中世ヨーロッパで広く信仰された十四救難聖人の一人でもあります。
十四救難聖人は、それぞれ、頭痛、急死、ペストなどの特定の守護対象をもち、困難に直面した人々を救ってくれると信じられていました。
聖ヴラホの守護対象は喉に関する疾病と不調。
そのため、ドゥブロヴニクにも、聖ヴラホのご加護により、喉の不調が奇跡的に解消した逸話が数多く残っています。
教会の歴史と銀の聖ヴラホ像
ルジャ広場の聖ヴラホ教会は、もともとは 1368 年に、ロマネスク様式で建築されました。
しかし、この時の建築は、残念ながら現存しません。
1667 年のドゥブロヴニク大地震で大きな損傷を受け、さらに、1706 年に発生した火事で修復不可能な状態になってしまったためです。
現存する、美しいバロック様式の聖ヴラホ教会は、1715 年に再建されたもの。
イタリアの建築家、マリオ・グロペッリにより、ヴェネツィアのサン・マウリツィオ教会をモデルとしてデザインされました。
今の聖ヴラホ教会は、上から見るとギリシャ十字の形の建物。
広々とした入り口の階段は、天使像の刻まれたポータルとステンドグラスで美しく装飾されています。
教会の正面の壁は 4 本のコリントス式の柱で区切られており、優雅な弧を描く屋根には、マリオ・グロペッリ作の彫刻が 3 体。
中央は聖ヴラホ、残り 2 体は「信心」と「希望」を人の姿で表したものだそうです。
大理石製の内部の主祭壇にある銀製の聖ヴラホ像は、作者不明ながら、1667 年の大地震より前に作成されたものであることがわかっています。
そのため、この聖ヴラホ像には、他の、より新しい像には見られない、非常に貴重な特徴があります。
ドゥブロヴニクの守護聖人である聖ヴラホは、片手に錫杖、残りの手にドゥブロヴニク旧市街の模型を持った姿で描かれます。
そして、もちろん、この旧市街の姿は、その時の街の姿を反映させたもの。
このヴラホ像については、大地震前のものがそのまま残っているため、この像の持つ模型は、大地震で壊滅する以前の街の姿をかたどったもの。
旧市街の大部分が、大地震とその後の火災で損壊・焼失してしまったドゥブロヴニク。
大地震前の街の様子を伝える資料もほとんど失われてしまったため、この像のもつ歴史的価値は非常に高いのです。
そして、このような歴史的価値だけでなく、この像には、これを更に特別なものとするエピソードが存在します。
上述の通り、大地震と火事により、当初の聖ヴラホ教会は損壊し、徹底的に破壊されてしまいました。
しかし、宝物の類もことごとく焼失したり破損したりしている中、この聖ヴラホ像だけは、がれきの中からほぼ無傷で発見されたのです。
これは聖ヴラホの奇跡的な力の象徴とみなされ、さらに人々の信仰を深めることとなりました。
聖ヴラホのお告げ: ドゥブロヴニク守護聖人となった経緯
聖ヴラホがドゥブロヴニクの守護聖人となった理由として、ドゥブロヴニク旧市街を囲む城壁の外にある、ロヴリェナツ要塞に関連する伝説がよく知られています。
言い伝えによると、971 年 2 月、当時敵対関係にあったヴェネツィア共和国籍の船が水の補給を求めてドゥブロヴニク旧港に寄港しました。
旧港沖にこの船が停泊したのが、2 月 2 日から 3 日にかけての夜だったそうです。
もちろん、これだけなら、なんの意外性も事件性もない出来事に思えます。
しかし、その晩、ある奇跡がおき、事態は急展開するのです…。
奇跡を体験することとなったのは、地元の司祭、ストイコさん。
その日たまたま、夜間に、高台にある聖ステファノ教会前を通理かかりました。
すると、夜であるにもかかわらず、教会の扉が大きく開け放たれているではありませんか。
不審に思ったストイコさんが教会に足を踏み入れたところ、そこには天使に囲まれた老人の姿がありました。
畏敬の念にうたれるストイコさんに対し、この老人は、ヴェネツィア軍が奇襲を試みようとしていると告げます。
そして、ヴェネツィアの船を数日間沖にとどめるので、評議会に奇襲策を告げて街の守りを固めるように、と促しました。
驚いたストイコが老人に名前を尋ねると、老人はヴラホと名乗ったと言われています。
翌日、ストイコさんは早速、この出来事を評議会に告げにいきます。
評議会は半信半疑ながら、念のため、防御体制を整えました。
そしてその数日後。
実際、ヴェネツィア軍がドゥブロヴニク近海に現れたのです。
しかし、攻撃できるほど近づいた時には、すでにドゥブロヴニクの防御態勢は完璧に固められていました。
ヴェネツィア軍が乗っ取りを画策していた岩場も、すでにドゥブロヴニク側が、防衛拠点(後にロヴリェナツ要塞が建築された)としてしっかり抑えてありました。
ヴェネツィア軍は奇襲失敗を悟り、戦いを挑むこともなく、そのまま退散したということです。
この出来事以降、ドゥブロヴニクは聖ヴラホを街の守護聖人とし、それまで以上に篤い信仰を捧げるようになりました。
結婚式もできます
ドゥブロヴニクはヨーロッパで最もロマンチックな街の一つと言われているため、ドゥブロヴニクでの結婚式は非常に人気があります。
そして数ある教会の中でも、聖ヴラホ教会は特に大人気。
シーズン中は、数組の結婚式が入れ替わり立ち替わり行われることもあるほどです。
ちなみに、結婚式、といっても、外国人の結婚式については、挙式の部分だけを行うのみで、法律上の届け出などは各カップル、自国で済ませていることが多いそうです。
それというのも、クロアチアはお役所の手続きがかなり煩雑。
外国人が、ここで法的な効力のある結婚の手続きを行うとなると、たとえ同じ EU 圏の方同士であったとしてもかなり面倒です。
そのため、こちらで行うのは、Symbolic Marriage(シンボリック・マリッジ)または Blessing Ceremony(ブレッスィング・セレモニー)といわれる、神様の前で誓いを交わす部分のみ、という形にするわけですね。
Symbolic Marriage パッケージを提供するブライダル会社も増えているので、外国人の海外挙式先としての人気はこれからもどんどん上がっていきそうです。
ちなみに、地元の方の本気の結婚式の場合、巨大なクロアチア国旗をぶん回す人を先頭に、全力でドレスアップした一団が、ものすごくキャッキャしながらやってくるのですぐわかります。
教会でのお式は厳粛ですが、ここに来る前に一盛り上がりしている上、その後に翌朝まで続く食えや飲めや踊れやのパーティーが控えているので、テンションだだ上がり!
アクセス
ピレ門からストラドゥン(プラツァ通り)をまっすぐ進み、突き当りにあるルジャ広場まで行きましょう。
すると、広場の真ん中に微笑みを讃える中世の騎士像、オルランドの柱。
その奥にある、半円形のステンドグラスが美しい教会が、聖ヴラホ教会です。